惣十郎新開

厳神社神職のまとめた「神恩」によれば立戸眞幡神社の記事に、文化年間(1804年~1818年)、人々は苦慮打開策として、新開の開発を発起したとあります。

立戸地区の農耕の不況に伴い、田中惣十郎を頭領とし、他7名の有志が、この開拓事業に当たる許可や援助を嘆願しました。その誠意のたまものか、地区民の協力のもと文政元年(1818年)にこの事業を完成させることができました。

「これを、功績のあった頭領の名に因んで惣十郎新開と呼ぶ。」と記されています。