小方村と油見両村の紛争

立戸・油見の境界、入川堤防は小方村と油見村の両村で共有していました。

明治10年(1877年)に小方村戸長の嘉屋由三郎と十戸頭たちが、油見村の十戸頭たちと協議を行い、堤防中央より折半して、沖の方を小方村とし、山手の方を油見村の所有とする交換の約束をしましたが、立戸の住民にはこれを秘密にしていたそうです。

明治13年(1880年)、油見住民は、堤防の山手側は自分たちの土地ということで小方村の同意を得ることなく開墾許可を得て、開墾を始めました。これを見た小方村の立戸住民は、「無断での開墾は不当である。開墾によって堤防が崩れ、立戸新開の23町歩が危険にさらされる」と大いに怒り、紛争となりました。

立戸住民の主張が認められ明治17年(1884年)許可の取り消しが行なわれて解決しました。