長州の役 苦の坂攻防の地

木野地区から離れますが、慶応2年(1866年)6月13日、幕府の高田軍(新潟県)1,000の兵が三ツ石に進軍し、これに対し長州軍の宍戸備前率いる遊撃隊と地光隊、そして維新団約250の兵が、小瀬村の小原に進軍しました。

その夜、斥候を出したところ、高田軍が山頂へ1,000の兵が登ってきていると報告され、防鹿側の山道と立戸側山道に兵を分散し、最強といわれる遊撃隊が苦の坂中央突破作戦で、翌14日の早朝に攻撃をしかけ、一気に小方に追い落としました。

苦の坂は、当時のままの状況を変えていない貴重な古戦場跡です。

その後、大野西教寺に本陣を置く幕府軍と一進一退の戦いが続きました。

芸州口の戦いは、9月2日に幕臣勝海舟が宮島の大願寺に出向き、長州軍の家臣団の団長である広沢兵助らと交渉し、停戦交渉が成立して、幕府の各藩は、国もとに帰って行きました。