立安寺

立安寺立安寺は、厳神社の入口にあるお寺で、正式には朧谷山(おぼろややま)演法院立安寺という浄土真宗の寺です。朧谷とは所在地名で、本尊は阿弥陀如来です。

開基年ははっきりしませんが、文政2年(1819年)の国郡誌にある立安寺系図などを総合すると、永和年代(1375年~1378年)の頃と思われます。
当初は禅宗でしたが、立安寺開祖といわれる西了という僧が大坂石山本願寺顕如上人に教えを乞い、慶長16年(1611年)頃帰国して浄土真宗に改宗したとあります。

また、国郡誌には小瀬村(現岩国市)宗玄寺末寺で教義や学問を教えていたのか、「道場」と記録されています。
さらに立安寺系図には、文化(1804年~1817年)より阿多田島は当寺の檀徒であったが、「当代の役僧同島に寺を建つるによって檀徒、当寺より離檀す」との記録があります。阿多田島の演福寺の「演」は前記、演法院の「演」と関係があったのではと考えられますが、ご住職によると、現在は両寺との関係はないと言われています。

寺は最初山際(現JRの線路上)にありましたが、慶応2年(1866年)の長州戦争で山門、宝物、文書、老樹など焼失・散逸したと記録にあります。
宝物とは享保15年(1731年)頃、順祖六世が「系図一巻及び銀の茶碗、金の箸及び皿を宝物として伝う」とあり、宝物が焼失・散逸したのが、この時か又は十世の頃寺運衰微の時であったかは明らかではありません。
大正10年(1921年)に本堂が再建されましたが、昭和2年(1928年)、鉄道敷設のために移転を余儀なくされ、本堂・庫裏及び墓地を現在地に移し、今日に至っています。

立安寺が広く住民と深いつながりがあったのは、製薬と昭和12年(1938年)に市域で二番目に開園した「小方幼稚園」です。
敗戦後、公立保育所に改称され、幼稚園は平成15年頃に閉所されたが、最盛期には百人を超す児童がいたといいます。