中川出来太郎之碑

中川出来太郎の碑は、出生地の元町四丁目、疫神社前の国道186号線沿いにあります。

この碑の制作にあたっては、呉方面の石工職人が泊り込みで日夜制作に当たり、大正15年9月に組み立てが終わり、10月1日に除幕式が行われました。

除幕式には、200人にのぼる関係者がオートバイで参列し、その轟き音は、天地を揺るがせ、元町の人々を驚かせたと言われています。

中川出来太郎は、いわゆる「侠客」と呼ばれた人で、西日本にその名を馳せた人であったと言われています。

50歳を超えた頃から地方政治にかかわりを持つようになり、社会情勢がもっとも厳しい昭和10年代半ばに大竹町長を務めています。「六法全書」が頭の中に整理され、文書には大変厳しかったと伝えられています。

墓地は元町二丁目壽高山光明寺境内の一角にあり、墓標に詳しく政治に関わった略歴が刻まれている。