大和橋元の道しるべ

明治に入り、広島~大竹間を海岸沿いに最短距離で結ぶ新道の工事が進められ、明治13年(1880年)2月に全線が開通しました。

当時は、小方・立戸・油見を経て、大竹の「本通り」から、三叉路を左に行き、大和橋を渡ると岩国・下関に向かう道になっていました。

この三叉路にあるこの道しるべは、県境の標識として旅行く人の目印となりました。

しかし、この三叉路は、よく戸惑う地点でもあったと言われていますが、当時としては最も大きく、重厚な造りで、往来の人々の指針となったことは確かです。

また、今日までの環境の変化にもかかわらず、紛失・移動もせずその役割を果たし、近郊ではこれほど大きな道しるべは残されていません。

現在では、昔を懐かしむ貴重な石造文化財となっており、立派に彫られた文字は、道行く人の心を和ませてくれます。