大河原記念碑

この記念碑は、元町三丁目梅ケ迫墓地に向う市道三叉路の、「中川保太郎先生之碑」の裏手にあります。

古くから大河原山を含め、現在の元町四丁目まですべて小方村の所有地でした。そのため、大竹村は耕作地が少なく、小方村の許可を得て、大河原山辺りを開墾し耕作していました。

明治5年(1872年)、新政府の施策の中で、地券(壬申の地券)が交付されました。

小方村では個人の所有を確定しがたい土地が数多くありましたが、隠地(隠れて耕作氏、租税を免れていた田畑)や無主地は官有地になるという噂が流れ、古くから開墾耕作していた大竹村の耕作人に、便宜上の名義で地券を交付し、保管していました。そして、その後、事情を知らない新任の戸長が地券を大竹村の耕作人に渡してしまい、大騒ぎとなりました。

ついに、小方村は裁判に持ち出し、最終的には、大審院(最高裁判所)に上告しましたが却下され、小方村の完敗に終わり、裁判費用の膨大な支出で、村は財政難に陥りました。

これを機に、明治19年、小方村と大竹村は、大河原山の山林売却について協議し、耕作人所有の耕地に加え、荒地、溜池・山林を大竹村に売却することで紛争は解決されました。

その後、半世紀を経て、昭和15年(1940年)、耕作人21名の功労を讃えて、大河原記念碑が建立されました。