小島の常夜燈

波静かな広島湾は、古くから船舶の往来が多く、特に、厳島神社は、内海を往来する船の寄港地として、また、航海の安全を祈願する場として重要な役割を果たしていました。

大竹市域では、潮待ち港として、すでに、中国の唐時代に、玖波の東の浜を使ったといわれ、「唐船浜」と呼ばれるようになり、今も呼び名として残されています。

このように、早くから玖波・小方両村は漁業や海運業が盛んになっていました。

一方、大竹村は、江戸後期に入り、小瀬川河口域を中心に船の往来が盛んになりました。

特に現在の大和橋辺りまで、潮の干満を利用して出入りして、特産の和紙などを大量に積み込み、大坂方面に向かっていました。

このように海上交通が盛んになり、内海から大竹市域の港に帰港する船の灯台の役割を果たしていたのが、「常夜灯」です。

小島新開完成3年後の天保6年(1835年)初秋に、大竹村の和田甚太郎と鍵屋源七は、大坂の取引先の商人5人の協力を得て、航海の安全を願って、この常夜灯を住吉神社に奉納しました。

大竹市域に数ある常夜灯(石灯籠)のなかでも、最も大きく重厚なもので、地域を支えた貴重な文化財の一つです。

台石に「世話人 栄福丸 栄松」と刻まれているのは、特産の手漉き和紙を扱っていた藩内でも指折りの小方浦の船主です。

 

所在地  大竹市南栄三丁目(住吉神社境内)
建立年 天保6年(1835年) 石の種類 花崗岩
高さ 370cm 横幅  
台座上段 35cm 台座下段 36cm
表記文字(表)   明治二十四卯孟夏
        位置変更 修繕
         発起  陣場  巌
             松田 多吉
表記文字(裏)   當所  和田甚太郎
         鍵屋 源七
表記文字(側面)   大坂  加島屋治良三郎
          井筒屋松治郎
          天満屋喜太郎
          河内屋善兵衛
          和泉屋由兵衛
表記文字(台石)   世話人 栄福丸 栄松