油見・小方 分水記念碑

旧大竹町の灌漑用水は、弘化3年(1846年)に大竹村と和木村の共同工事により小瀬川の井堰が完成したことによって、旧大竹町は水路を幾重にも張り巡らせ、小島新開に至るまで、灌漑用水を田畑に供給できるようになりました。

一方、油見・立戸・鳥帽子新開方面は、水量が豊かな川がなく、水不足から、農作業に支障をきたすことが多く、各所にため池を作ることによって水を確保していました。

昭和に入り、大竹町の灌漑用水路から、分水を協議することになり、昭和2年12月、合水決議がなされました。

そして、昭和3年に「油見・小方村連合用水耕地整理組合」が設立され、これによって取水権が円満に解決されました。

それから、油見地区に向かう権現山を貫くトンネルが着工され、昭和4年7月に大竹町中市(現元町二丁目)の井堰前で、竣工式が盛大に行われました。

その後、油見・立戸・鳥帽子新開方面の田畑は、農業生産が著しく改善されるようになりました。

昭和17年、組合解散の際、大事業完了を記念して、この地に分水記念碑が建立されました。

油見地区では、生活に必要な水は、溜池や小さな「古森川」、東側から合流する「郷谷(ごうや)川」に頼っていましたが、現在では改善され、井堰が地中を通り、その上を川が流れる「うぐろ形式」をここで見ることができます。

 

所在地  大竹市立戸一丁目(油見トンネル東口交差点・右側)
建立年 昭和17年(1942年)  石の種類 花崗岩(自然石) 
 高さ 190cm 最大幅 150cm
表記文字(表)    油 見
   
分水記念碑
      
小 方
 表記文字(裏)
  現在組合長  中川出来太郎
  大竹町長
  副組合長   嘉屋豊助
  小方村長
  元組合長   小田武右衛門
  元大竹町長
  元組合長   中川米太郎
  元小方村長
  合水決議   昭和二年十二月
  組合設立   昭和三年三月
    昭和十七年五月建立