薬師寺(元町)

元町4薬師寺いつのころか年代はわかりませんが、現在の薬師寺の裏山に、かつて西福寺という寺院があったそうです。後にこの西福寺の護摩堂をこの地に下ろしたのが、この真言宗神楽山薬師寺の始まりと言われています。

ここは、乳薬師と言われ、多くの女性がお乳の出ることを願ってお参りが耐えなかったそうです。

 

薬師如来

文政2年(1819年)の国郡誌大竹村には、薬師寺のご本尊である薬師如来は、行基(668年~749年)の作と書かれています。

開帳は60年に一度と言われ、その姿を拝むことは大変難しいです。

昭和57年11月、寺院の新築に伴い落慶法要が行われ、特別開帳されました。今度の開帳は2042年となります。

この薬師寺本殿については、北の裏山に沿って南側にご本尊拝礼の入り口があるのが、家屋建築の常道ですが、ご利益が大竹村にいただけるようにと、拝殿を東に向けて建てたと言われています。しかし、この話も、地蔵さんの向きと同じで、細長く三角形の土地に寺院を建設するために、南に向けて建設ができなかったからだと考えられます。

 

誕生釈迦仏立像

薬師寺には、二体の釈迦の誕生仏があります。釈迦はヒマラヤ山脈のふもと、現在のネパール南部のカピラ城を中心にサーキャ族の小国があり、その浄飯王の長子として麻耶夫人から誕生ました。

誕生釈迦仏立像は、釈迦が生まれたときに、七歩歩んで、右手で天を指し、左で地を表し、「天上天下唯我独尊」と誕生宣言を行った時の姿を表現した像です。

この像は、毎年4月8日の潅佛會(花祭り)のときに、我々の前に姿を見せます。

 

阿弥陀如来坐像

阿弥陀如来は、梵名「アミバータ」(無量光)といい、わが国では、白鳳時代(七世紀)から見られ、後に法然上人に代表される浄土宗で、阿弥陀を唱えれば極楽往生できると口説かれ、親鸞,一遍に引き継がれ浄土宗、浄土真宗の本尊と定められました。

 

 

 

 

十一面観音菩薩坐像

宝暦10年(1760年)の作と言われ、薬師寺の文化財の中でも最も古いものになります。

十一面観音菩薩は、頭の周囲に菩薩面を三体、忿怒(ふんど)面三体、狗牙上出面三体、大笑面一体、そして頭の上に仏果を示す阿弥陀如来仏面を中心に一体、合計十一の面をつけ、十一の悪を除き、悟りを開かせると言われています。

日本では、奈良時代中期(八世紀)頃から作られています。

 

弘法大師坐像

この弘法大師坐像は、すでに国郡誌(1819年)に掲載されていることから、古い時代のものと考えられます。

空海(774年~835年)は、四国八十八箇所の霊場を開創・整備した人で、真言宗の開祖です。真言宗寺院には大師堂があります。空海は、延暦23年(804年)に唐に渡り、青龍寺の恵果和尚に師事し、「金剛名号」を授かりました。白衣の背に「南無大師遍照金剛」とあるのは、「大師さん道中よろしくお願いいたします」の意味です。

 

曼荼羅 ニ幅

曼荼羅は、真言密教寺院によく見られ、仏教における悟りの境地や世界観などを表しており、これらは「両界曼荼羅」と言われるものです。

曼荼羅は、弘法大師(空海)が、九世紀の初め、唐から帰国したときに日本に伝えられ、信仰されるようになりました。

この薬師寺の曼荼羅は、いつ誰が書いたのか、誰が奉納したのかわかっていませんが、かなり古いものと考えられています。

 

 

 

日切地蔵

この地蔵さんは、薬師寺本堂右側の立派なお堂の中に祀られています。

地蔵菩薩の中には、ご利益によって、多くの呼び名がありますが、「日切地蔵」もその一つで、日を限って日参することで、願い事が叶うと言われています。

昔は、願いごとをかけるため、山門前で履物を脱いで素足でお参りするのが習わしであったと言われますが、現在ではそのような姿は見られません。

 

 

火伏地蔵と法華塔

薬師寺の山門をくぐると、左側に祠があります。その中の左側の「法華塔」右側に「火伏地蔵」が祀られています。

法華塔は、宝篋印塔建立の翌年、明和9年(1772年)の建立で、宝篋印塔をお守りする地蔵さんです。

右側の火伏地蔵は、寛政丁巳9年(1797年)8月に建立されたもので、村に火災が起こらないようにという願いを込めて、建立されたものです。

この2対の地蔵さんは、ともに200年を越え、市域でもかなり古い石造物になります。

また、右側の小さな祠の地蔵さんは、江戸時代に作られた、四国八十八ヶ所のミニ霊場として、裏山の経塚山を一巡する八十八箇所の一番目の地蔵さんとなっています。

 

五輪塔「薬師寺歴代大和尚供養塔」

江戸時代半ばから広まった墓としての五輪塔(墓)は、各所で見ることができます。

薬師寺の裏山を少し登ると、最も大きく形も整っていて、梵字も正確に彫られている五輪塔があります。

五輪塔には、お墓としての役割と、供養塔としての役割があります。この五輪塔は、真言宗薬師寺の歴代大和尚の供養塔です。

右側には歴代大和尚の墓があり、古い時代のものは、浄土宗、浄土真宗以外の僧侶の墓と定められています。