カンドロの舞

元町の疫神社の境内で永く舞われていた「カンドロの舞」は、いつ頃どのような形で始まったのかはっきりしません。

昭和3年(1928年)、昭和天皇即位の御大典の折に、商家の二階堂家の前で舞った際、「上り組にゃあほがいな舞があるんか」と、日本製紙芸防工場が、スポンサーとなり、衣装はもとより、その他にも惜しみない支援を約束し、戦前から戦後の窮乏の中でカンドロの舞は人々に娯楽と活力を与えていました。

また、笛・太鼓の囃子の音を、現代の人はリズムとして感じますが、昔の人は言葉に置き換えていました。次のような言葉が伝えられています。

笛 :ひろかひろかここへひろか

太鼓:ここしちゃきたない どてひれどてひれ

昭和30年半ば、高度経済成長期に入り、社会環境が変更していく中で、カンドロの舞もしだいに舞われなくなり、ついに消えてしまいました。

火災や台風になどの災害で消滅した伝統文化や文化財もありますが、カンドロの舞は時代の移り変わりによって消滅したと言えます。