亀の背中

江戸時代から明治・大正・昭和20年代まで、大竹は手すき和紙の産地として栄えました。

また、小瀬川の河口域を港代わりに活用し、帆船を数多く所有しており、和紙を中心に大坂や北九州へと商いを広げ、船に乗る人も多くいました。

あるとき、船は大坂からの帰り、備後灘にさしかかったとき、大嵐に遭遇しました。

「これでは大竹に帰れそうにない、あおの島に上がって魚でも釣ろう」と、島に上陸し、釣り糸を垂らすと、なんと島が動き出しました。

よく見るとこの島は大きなどんがめでした。

「こりゃぁいけるか」と、嵐も遠のいたので急いで船に乗り、西に向かって進み始めると、今度は前方の海の真ん中に大きな柱が立っているのが見えます。

「なんじゃろうか」と、見に行くと、これは巨大な伊勢海老の角でした。