尻焼き庄平

上り組(現在の元町四丁目)の住人に、庄平という人がいました。

庄平は、小間物(日用品)の商いをしており、週に1、2度は商いのために広島に通っていました。

広島からの帰り道、油見古城山(鼻繰山)あたりでいつも暗くなります。すると、ときどき後から石が飛んできたり、砂をまかれたり、悪狐が意地悪をしてきます。

庄平は、「悪狐め、今日こそはやっちゃるんじゃけぇ」と、暗くなった鼻繰の岸辺に馬を引いて差しかかると、案の定、暗闇の中から石が飛んできました。それでも知らんぷりをしていると、今度は砂をばらまかれました。

「出たでた、馬の後についてきたぞ」と、庄平はそろっと後に回って悪狐をぎゅっと捕まえました。

庄平は奇妙な行動に出ました。捕まえた悪狐を馬の尻尾にくくりつけ、家に戻りました。

家に戻ると「ばあさんよ、今戻ったぞ、くど(かまど)の燃え差しがあるかのう」と、悪狐のお尻をかまどの中に入れ、焼き始めました。

悪狐は、「あっちち、あっちち、庄平爺さんこらえてくれいや」と騒ぎ立て、庄平は「今度こそ悪いことをしちゃあいけんぞ」と悪狐をたしなめ、悪狐を裏山に放しました。

その後しばらく悪狐は姿を見せませんでした。庄平は、「やり過ぎたかのう」と心配になりました。

悪狐は、お尻の傷が癒えるまでじっとしていましたが、悪狐の逆襲が始まりました。

三日三晩かけて大河原山からひと山越えて経塚山にたどり着き、そこから一気に下って庄平の家の側まで行きました。何をしでかすのかと思いきや、「尻焼き庄平、尻焼き庄平」と毎晩毎晩叫び続けたといいます。

お仕置きは程ほどにした方がよいということを教えてくれるお話です。