松ケ原のくわず柿

松ケ原の堂之本には、昔から「くわず柿」という柿の木がありました。
このことは文政2年(1862年)の国郡誌にも、名勝として紹介されています。

古い通りのすぐそばに、四間四方の盛土をした塚があり、その中に大きな柿の木が生えていました。
この木には毎年、三つずつ毒の実が混じってなるため、怖がって食べる人もなく、くわず柿と呼ばれてきたといわれています。

また、塚の盛土には、きれいな河原石が敷き詰めてあり、戦いで討ち死にした3人の武士を埋めたともいわれています。
天文23年(1554年)、毛利軍と陶軍が折敷畑(現在の廿日市市)で戦った際、松ケ原の獅子岩付近で陶軍の武将の江良九郎左衛門が討ち取られ、300騎とともにここに埋められたという戦記があります。
300騎というのは大げさ過ぎると思われますが、小方を拠点とした陶軍が退却途中に松ケ原で討ち取られたというのは十分考えられることです。

惜しくも柿の木は昭和30年代に枯れてしまい、今では「石仏」と呼ばれる高さ60cmくらいの自然石がほこらの中に祭られています。