竹しょんべん

幕末、長州藩は倒幕に向けて走り始め、国境を封鎖し、厳重警備にあたった時期がありました。

小瀬峠の入口の店先に検問所を構え、安芸・周防の出入りを厳しくしました。

国境を接する木野村の人は、従来から周防側と生活面での往来があり、このときも通行が認められていました。

しかし、大竹村の住人が、岩国の城下や樋の口、持ケ峠に商いに行くのは厳しく咎められました。

ある日、大竹村の住人が、周防側で竹筒に酒を買って帰っていると、検問所で止められました。

長州側の役人に竹筒を見つかり、「そのものはなんじゃ」と問われたので、「この竹筒にはしょんべんが入っとります」と答えましたが、役人は中を確かめて酒を飲んでしまいました。

この大竹村の住人は、「こんなげどう、仇をとっちゃるんじゃけぇ」とばかり、今度は本物のしょんべんを竹筒に入れ、検問所に行きました。

すると、役人は「またお前たちか」と、今度は竹筒を確かめず、一気にしょんべんを飲んでしまいました。

「おいおい、こんならあ馬鹿じゃのう、飲んだで」と、大竹の住人は一目散に木野川を渡り、帰っていったそうです。