豪傑三人衆

江戸末期の天保年間(1830年~1843年)の頃、元町には近郊に聞こえた三人の豪傑がおり、後の時代にも語り草になっています。

一人は、大蔦(おおとび)力蔵といって次組(元町三丁目)に広大な敷地を有する大蔦屋敷の住人で、名を力蔵といった力持ちでした。後に大坂に出て小結になった力士で、面倒見がよく、幕末に江戸相撲で第13代横綱となった陣幕九五郎を育てた人です。

二人目は、中市(元町二丁目)の鬼虎さぁといった豪傑がいたそうです。

三人目は、石神さんといって、夏には石を抱えて川に入り、大竹側から和木側に行って帰ることができるほどの強固な心臓の持ち主でした。

この三人が、かけもんずく(自分の一番得意とするものを披露して見せること)をしたところ、

大蔦は、一文銭を両手にいっぱい持って、口の中に入れ、ガリガリ食べたといい、鬼虎さぁは、「一番鯔(ぼら)」といって、めったに見られない大きなボラを生で頭から尻尾まで大衆の前で食べたといい、石神さんは、蔵の大きな鍵を口でちぎって開けたといいます。

いずれも人間ができる技ではありません。