大竹市の歴史年表

元号西暦大竹市域のできごと日本史・広島県のできごと
大化元年645大化の改新
大宝元年701大宝律令の制定
和銅 3年710平城京遷都
養老 2年718養老律令の制定
天平 6年734大竹川をもって安芸・周防両国の境とする(続日本紀)
天平15年743墾田永年私財法の公布
延暦13年794平安京遷都
久安 2年1146平清盛が安芸守となる
永暦元年1160平清盛が始めて厳島神社に参詣する
長寛 2年1164佐伯郡を佐東郡と佐西郡に改める
仁安 3年1168厳島神社が大造営される
治承 4年1180源頼朝が伊豆で挙兵する
文治元年1185平氏が壇ノ浦で滅亡する
承久 3年1221承久の乱
文永11年1274文永の役
弘安 4年1281弘安の役
元弘12年1333鎌倉幕府滅亡
応安 2年1369小方村の厳宮大明神が再建される
応安 4年1375鎮西探題 今川了俊が市域を通過する
永和元年1375大栗林村に河内大明神が勧請される
至徳元年1384谷和村に河内大明神が遷宮される
至徳 2年1385小栗林村に河内大明神が勧請される
この頃大竹村(弥ケ迫)に西福寺があった
康応元年1389鹿苑院殿厳島詣記に「おかだ」の地名が見られる
明徳 3年1392南北朝合体
応永 8年1401足利義満が明と国交を結ぶ
応永10年1403大栗林村に瑞照寺が建立される
応永17年1410谷和村に万覚寺が建立される
寛正 5年1464後原に河内大明神が勧請される
応仁元年1467応仁の乱
延徳元年1489玖波村に誓立寺が中興する(禅宗を真宗に改める)
永正 5年1508大竹村に光明寺が建立される
永正12年1515この頃大竹村に勝善寺と建立される
天文 7年1538玖波村に称名寺が建立される
天文 9年1540尼子晴久が毛利氏の吉田郡山城を攻める
天文10年1541尼子勢が毛利氏に敗れる
天文14年1545油見村に顕徳寺が建立される
天文15年1546玖波村に順光寺が中興する(天台宗を真宗に改める)
天文20年1551陶晴賢が大内義隆を討つ
天文23年1554毛利氏と陶氏が開戦(折敷畑の戦い)
弘治元年1555厳島の戦いにより陶氏が滅亡する
弘治 2年1556小方の百貫文の土地が毛利氏の熊谷信直に与えられる
玖波村の大歳大明神が再建される
永禄 3年1560熊谷九郎に黒川村が与えられる桶狭間の戦い
永禄 9年1566毛利氏が尼子氏を滅亡させる
天正 2年1574小栗林村に安楽寺が中興する
天正 5年1577厳島神社で三万部経の読経が行われ小方や玖波からも経衆が渡海する
天正 6年1578児玉四郎右衛門に瀬田・関ヶ浜・大滝の一部が与えられる
天正16年1588賀屋五右衛門が阿多田島在住を命じられる
天正19年1591熊谷氏に代わり桂四郎兵衛が小方に入り支配する
文禄元年1592文禄の役
慶長 5年1600関ヶ原の戦い
慶長 6年1601福島正則に安芸国が与えられる
福島伯耆守正宣に小方(1万石)が与えられる
福島主膳正に玖波(5千石)が与えられる
慶長 8年1603福島氏が小方に亀居城の築城を開始する江戸幕府が開かれる
慶長12年1607亀居城主福島伯耆守正宣が死亡する
慶長13年1608亀居城が完成する
慶長16年1611亀居城が破却される
松ケ原が大野村から分かれて松ケ原村となる
小方村に立安寺が再建される(禅宗を真宗に改める)
小方村の円通寺が廃寺となる
大竹村と関ヶ浜村に貝取り論争がおこる
元和元年1615小方村に西念寺が建立される武家諸法度と禁中並公家諸法度が定められる
元和 5年1619福島正則が改易となり浅野長晟に安芸・備後が与えられる
浅野家家老の上田重安(宗箇)に小方が与えられる
元和 6年1620奥谷尻が谷尻村から分かれて奥谷尻村となる
寛永元年1624郡毎に数名の大庄屋を置く
寛永 6年1629大竹村と和木村に青木毛保論争がおこる
寛永 9年1632玖波に本陣が整備される
木野川に石垣(二ヶ所)が築かれる
寛永12年1635参勤交代の制度が確立される
寛永13年1636紀州塩津浦の漁師の平右衛門が小方に掛引網漁法を伝える
寛永14年1637島原の乱
寛永16年1639玖波村に口屋(新居浜村の別子銅山の瀬戸内側の物流拠点)が置かれる
寛永18年1641後原が小栗林村から分かれて後原村となる
寛永20年1643この頃松ケ原村の無量山成通寺が廃寺となる
正保 3年1646小栗林村と浅原村に山境争いがおこる
承応 3年1654木野川の寛永の石垣が洪水で流される
明暦元年1655大竹村と和木村に与三開き論争がおこる
万治元年1658大竹村と和木村に海苔取り論争がおこる
万治 2年1659小方村飯谷と谷和村に山境論争がおこる
寛文 2年1662大竹村と和木村に貝取り論争がおこる
寛文 8年1668大竹村と瀬田村に流木論争がおこる
寛文 9年1669大竹村と和木村に貝取り論争がおこる
延宝 2年1674大竹村青木新開が洪水により流される
延宝 4年1676油見新開が築調される
貞享 2年1685大竹村と和木村に貝取り論争がおこる
貞享 4年1687小栗林村と浅原村に山境論争がおこる
元禄 5年1692大竹村と和木村に貝取り論争がおこる
元禄11年1698大竹村と和木村に貝取り論争がおこる
元禄13年1700小方村に紙座(紙見取改所)が置かれる
宝永 2年1705小栗林村と浅原村に山境論争がおこる
大竹村と和木村に与三開き論争がおこる
正徳 2年1712大火のため玖波村の270軒が焼失する郡制改革により代官制が廃止され佐伯郡には3人の所務役人と6人の頭庄屋が任命された
正徳 4年1714大竹村と和木村に宮本毛保論争がおこる
享保 3年1718領内で大一揆がおこる郡制が代官制に戻る
享保 5年1720小栗林村と浅原村に山境論争がおこる
享保 6年1721洪水、気候不順、イナゴなどによる被害が発生する
享保 7年1722給主の上田氏から給米50石が20か村に分配される
享保 9年1724市域の沿岸部に暴風雨や洪水による被害が発生する
享保12年1727大火のため玖波村の86軒が焼失する
享保20年1735大洪水によって大竹村の宝永の石垣が決壊する
元文 4年1739小栗林村と浅原村に山境論争がおこる
寛延元年1748朝鮮使送迎のため玖波村・小方村から加子(船員)14名が出る
暴風雨と洪水のため大きな被害が発生する
宝暦 2年1752和木村の鰯網が市域に入ってきたため、玖波村と小方村の漁師がこれを差し止める
後原村に疫病が流行し、罹患者54人、死者18人となる
大竹村と和木村に与三開き論争がおこる
宝暦 7年1757暴風雨と高潮のため領内に大きな被害が出る
宝暦 9年1759上田氏の家臣の鳳州福山貞儀が洪量館記を記す
明和 5年1768人馬改めが行われた(これによると小方村の人口は2,306人であった)
明和 9年1780小方村飯谷と谷和村に山境論争がおこる
天明 6年1786領内各地に一揆がおこる
寛政元年1789大竹村と和木村に宮本毛保論争がおこる
大竹村と和木村に境界論争がおこる
寛政11年1799大竹村と和木村に境界論争がおこる
享和元年1801大竹村と和木村に磯論争がおこる
安芸・周防の境界の協議が調い、境界の杭打ちが行われる
享和 2年1802大竹村と和木村の磯わけが行われる
文化 3年1806油見新新開が築調される
文化13年1816玖波村に板割物定問屋が設けられる
文政元年1818立戸沖新開が築調される
文政 2年1819広島藩が「芸藩通志」編修のため各村から国郡志の提出させる(これによれば市域は2,538戸、11,005人であった)
天保 3年1832小島新開が築調される
天保 7年1836領内に大飢饉がおき、小方村の百姓250軒が潰れる
天保14年1843大火により玖波村の上之町・中之町・その他民家が焼失する
弘化 2年1845市域の各村に洪水によって大きな被害が発生する
嘉永 4年1851玖波村が窮乏のため百姓騒動をおこす
嘉永 5年1851小方村に新町新開が築調される
嘉永 6年1852アメリカ使節のペリーが浦賀に来航する
安政元年1854小島新開が一村として分立する
安政 5年1858油見村と大竹村に百姓騒動がおこる
安政 6年1859沿岸部一体に疫病が流行し、罹患者1,759人、死者180人となる
文久 3年1863割庄屋の和田吉左衛門が台場構築のために諸島の調査を行う薩英戦争
上田氏が大野村・小方村の海岸に台場の構築を命じる
小方村の円通寺跡と黒川村の妙見山の東に台場が築かれた
農兵隊の設置にともない玖波・小方に屯所が設けられた
元治元年1864市域で合戦準備が行われる禁門の変・第一次長州戦争
慶応元年1865第二次長州戦争
慶応 2年1866芸州口の戦いにより市域の家屋1,734軒が焼失し、罹災者8,996人となる薩長同盟
慶応 3年1867烏帽子新開が築調される王政復古
明治元年1868明治新開が築調される戊辰戦争
明治 2年1869烏帽子新開の作地配分をめぐって騒動が起きる版籍奉還
明治 3年1870小方村の境番所が再建される平民に苗字の名乗りが許される
明治 4年1871玖波村に郵便取扱所が置かれる廃藩置県
小方村上ノ町新地で火事により民家35戸が焼失する
明治 5年1872地震により新町新開・烏帽子新開・青木堤の一部が崩壊する割庄屋等が廃止され戸長等が置かれる
玖波・阿多田島間に郵便船が就航する大区・小区制度が実施され,佐伯区は第四大区となり,14の小区に分けられる
学制が始まる
地券が発行される
明治 6年1873玖波村に板・木材・竹類の改所が置かれる徴兵令
広島・大竹間の新道の建設工事が始まる地租改正
明治 7年1874暴風雨により明治新開と小方新開が決壊する民選議院設立の建白書
佐賀の乱
明治 8年1875小方村に教員伝習所が設けられる千島・樺太交換条約
明治 9年1876木野川通船工事が完成する廃刀令
神風連の乱・秋月の乱・萩の乱
明治10年1877玖波村に広島県警察署廿日市分署第一分屯所が置かれる西南戦争
明治11年1878広島県と山口県が甲島境界見届書を取り交わす郡区町村編成法の制定
大和橋が架橋される
戸長役場が玖波・小方・大竹・大栗林に置かれ,戸長各1名が選任される
明治12年1879コレラが流行し,船客取調所が廿日市・草津に置かれ,船貨検疫所が大竹村と玖波村に置かれる広島に国立第146銀行が置かれる
明治13年1880廿日市・大竹間の新道が完成する
玖波村警察分署が小方村に移される
大河原の土地所有権争いが起きる
立戸新開入川堤防の利用をめぐり小方村と油見村の争いが起きる
私立小学校の明心舎が設立される
明治14年1881小方分署の持区域に小島新開が加わる学令児童就学督責規則の制定
大竹製紙審査会社が設立される
明治15年1882大竹村・大栗林村に郵便局が置かれる軍人勅諭
穂仁原小学校が設立される
小方村警察分署が大竹村に移される
明治16年1883飯谷小学校が設立される
大野村と松ケ原村の山論は松ケ原村の勝訴となる
大竹分署玖波交番所が新設される
大野村と小栗林村の山論は小栗林村の敗訴となる
大竹村上市に私設消防組が結成される
明治17年1884印紙類売捌所が玖波・大竹・木野・大栗林の各村に設けられる郡区役所に兵事係が置かれる
水利土功区域に新町新開・烏帽子新開が編入される
明治18年1885栗林小学校奥谷尻分校が設置される広島県の小学校が郡単位に統合される
明治19年1886印紙類売捌所が小方村に設けられる広島鎮台を第五師団と改称
台風により沿岸部の村が被害を受ける小学校令
コレラが流行し,大竹村と玖波村に検疫所が置かれる
玖波村で火事により民家20戸が焼失する
明治20年1887教科書検定規則の制定
明治21年1888阿多田島本浦東で火事により民家28戸が焼失する市制・町村制の公布
明治22年1889大竹村と小島新開村が合併する(大竹村)大日本帝国憲法の公布
小方村と黒川村が合併する(小方村)消防組規則の制定
大栗林村・小栗林村・後原村・谷和村が合併する(栗谷村)
峠村・渡ノ瀬村・松ケ原村が三和村に統合される
大竹村と油見村の町村組合が設置される
明治23年1890玖波村でコレラが発生し,4人が死亡する府県令・郡制の公布
教育勅語
小学簡易科の廃止
明治24年1891大竹改良製紙組合が設立される
小方村下ノ町で火事により民家12戸が焼失する
明治25年1892玖波村に私設消防組が設立される
大竹村に高等小学校が設立される
明治26年1893玖波村で赤痢が流行する
小方村で松樹伐採条例を設け育林を図る
明治27年1894大竹村・油見村・玖波村で赤痢が流行して59人が死亡する日清戦争
神戸・広島間の鉄道開通
明治28年1895沿岸部でコレラが流行する日清講和条約調印
明治29年1896国立第146銀行が広島銀行に改称
明治30年1897大竹貯蓄銀行が設立される広島・徳山間の鉄道開通
明治31年1898玖波村で火事により民家21戸が焼失する
明治32年1899小方村と阿多田村に衛生組合が設立される
蚕業講習所短期講習会が木野村で開催される
明治33年1900玖波村役場が新築される
小方尋常小学校に高等科が併設される
暴風雨のため新町新開・烏帽子新開・宗十郎新開が決壊し,玖波村では民家60戸余りが流失する
明治34年1901大竹尋常高等小学校の校舎増設工事が完成する
玖波尋常小学校の校舎が完成する
福松銀行の木野出張所が開設される
木野村役場が完成する
明治35年1902玖波尋常小学校に高等科が併設される日英同盟
風水害のため大和橋が流失する
大竹・阿多田島・玖波浜・油見・小方・立戸に漁業組合が設立される
明治36年1903阿多田島白石に灯台が設置される小学校国定教科書制度
明治37年1904大竹村青木で火事により民家13戸・納屋4戸が焼失する日露戦争
明治38年1905日露講和条約調印
明治39年1906大竹村でペストが発生する山陽鉄道の国有化
芸防抄紙株式会社が設立される
明治40年1907福松銀行の玖波支店が開設される義務教育の年限が6年になる
各村に在郷軍人会が結成される
明治41年1908玖波村と大竹村に青年会が結成される
村上銀行の大竹支店が開設される
大竹貯蓄銀行の玖波出張所が開設される
明治42年1909小方村役場が完成する種痘法の公布
大竹村に特設電話が設置される
明治43年1910大竹町制が施行される日韓併合
大竹町婦人会が発足する
木野川製紙組合が設立される
大竹信用販売組合が設立される
大竹町製紙組合が設立される
明治44年1911大竹町青年会館が完成する
明治45年1912木野村に積善会が結成される
宮島口・大竹間に乗合馬車が開通する
大正 2年1913小方・黒川の区有林が整理統合される
八田貯蓄銀行預金の支払いを停止する
大正 3年1914福松銀行の預金の支払いを停止する第一次世界大戦
暴風雨により玖波村の漁船62隻が破損する
芸防抄紙株式会社が土佐紙株式会社芸防支店となる
大正 4年1915岩国電気軌道が玖波村に送電を開始する
前飯谷の河内神社が焼失する
大正 5年1916大竹耕地整理組合が設立される村上銀行が広島銀行と合併する
大竹町普通水利組合が設立される
大竹貯蓄銀行が高知銀行と合併する
大倉組山陽製鉄所の用地買収が完了する
小方郵便局が設置される
福松銀行が破産宣告を受ける
大竹町青木で火事により民家30戸が焼失する
大正 6年1917大倉組山陽製鉄所が操業を開始する
大正 7年1918大竹町で信用労働組合が結成されるシベリア出兵
貴族院議員に大竹町の二階堂三郎左衛門が当選する第一次世界大戦終結
大正 8年1919結核予防法の制定
大正 9年1920小方町黒川で火事により民家20戸が焼失する第一回国勢調査の実施
広島銀行が小方派出所を設置する
大正10年1921製紙産業組合が設立されるワシントン軍縮会議
広島銀行が木野派出所を設置する
玖波村公設消防組が設置される
大正11年1922大倉組山陽製鉄所が閉鎖される
大正12年1923小方村公設消防組が設置される郡制廃止
関東大震災
大正13年1924玖波町制が施行されるメートル法の実施
玖波町実業補習学校に女子部が置かれる
玖波町下ノ町で火事により民家20戸が焼失する
大正14年1925西岩国・大竹間乗合自動車が運行される衆議院議員普通選挙法公布
木野川が氾濫する治安維持法の制定
三和村役場が火事により焼失する
大竹町公設消防組が設置される
大正151926栗谷村公設消防組が設置される治安警察法の施行
大和橋が永久橋となる
大竹警察署が設置される
玖波町商工会が設立される
昭和 2年1927阿多田島に郵便取扱所が置かれる金融大恐慌
蚕業取締所小方出張所が置かれる
玖波町地先海面埋立地が字新駅内となる
大竹町役場が新築される
昭和 3年1928洪水のため沿岸部の民家約340戸が浸水し,田畑約40haが流失する山陽鉄道の複線化
玖波町地先海面埋立工事(第二期)が完成する
私立大竹幼稚園が開設される
昭和 4年1929大竹町の東西両校の統合問題が起きる
大竹町と油見村が合併する(大竹町)
友原村と三和村が合併する(友和村)
油見・立戸・烏帽子新開の灌漑用水開通工事の竣工式が行われる
大和館が開設される
玖波町と小方村に特設電話が設置される
昭和 5年1930大竹町に養豚組合が結成される
大竹東小学校が廃止される
昭和 6年1931玖波・大竹・小方に養蚕実行組合が結成される県三部制の廃止
満州事変
昭和 7年1932栗谷村に電話所が設置される満州国成立
大竹幼稚園の園舎が完成する5・15事件
小方村安条に出張医療所が設置される
栗谷村役場が新築される
昭和 8年1933大竹町・小方村に耕地整理組合が設立される日本が国際連盟を脱退
玖波町・小方村の地先海面埋立地が明治新開となる
新興人絹株式会社を誘致する
玖波中央港が築港される
昭和 9年1934大竹自動車組合が設立される
大竹町国防婦人会が結成される
阿多田港の築港が始まる
昭和10年1935木野郵便局が設置される
栗谷村に木炭検査員駐在所が置かれる
大竹町に託児所が設置される
大竹柿栽培出荷組合が設立される
栗谷村に診療所が設置される
昭和11年1936小島新開に広島飛行場が設けられる2・26事件
大竹実科高等女学校が設立される
栗谷電話所が栗谷郵便取扱書となる
昭和12年1937玖波町地先海面埋立地が字西港内となる盧溝橋事件
大竹実科高等女学校の校舎が完成する
大竹町で国民精神総動員町民大会が開催される
大竹都市計画区域が指定される
昭和13年1938玖波・小方・大竹・木野・友和の各町村に農地委員会が置かれる国家総動員法の公布
昭和14年1939小方村・木野村・大竹町が合併打合会を開催する広島県下で灯火管制実施
各町村に警防団が結成されるノモンハン事件
小方商業組合が結成される第二次世界大戦
昭和15年1940部落会と町内会が結成される大政翼賛会の発会
大竹海兵団の建設が始まる大政翼賛会広島県支部の結成
玖波町役場が火事により焼失する
小方村銃後奉公会が結成される
木野川手漉和紙工業組合が設立される
昭和16年1941大政翼賛会大竹支部が結成される佐伯郡満蒙開拓義勇軍の結成
大竹海兵団が発足する国民学校令の公布
大竹町に国民職業指導書が設置される広島県で米穀の配給制度の実施
太平洋戦争
昭和17年1942大竹味噌・醤油配給組合が設立される広島県翼賛壮年団の結成
栄橋が竣工する
暴風雨により沿岸各地が決壊し、大きな被害を受ける
大竹町役場が新築される
海軍潜水学校大竹分校が本校となる
阿多田島に海底電話ケーブルが敷設される
昭和18年1943大竹町が航空機2機を献納する学徒出陣
大竹町と栗谷村で国民健康保険組合が発足する
昭和19年1944大竹・玖波・木野・栗谷・友和の各農業会が解散する決戦非常措置要綱の決定
小方・大竹・玖波・阿多田の各漁業界が解散する学徒動員令・女子挺身隊勤労令の施行
昭和20年1945岩国陸軍燃料廠が空襲される広島・長崎に原爆投下
各町村で国民義勇隊を編成終戦
大竹本町郵便局が開設される
暴風雨により恵川が氾濫する
米軍の一個小隊が市域に駐留する
旧潜水学校内に移転した呉海軍病院が国立病院となる
大竹町に引揚援護局が設けられる
引揚第一船の氷川丸が大竹港に入港する
昭和21年1946大竹町青年自治連盟が発足する男女平等による総選挙実施
三菱レイヨン大竹工場で労働組合が結成される日本国憲法の公布
呉地方復員局掃海部が大竹町に置かれる
昭和22年1947部落会・町内会が廃止される学校教育法の施行
引揚援護局大竹出張所が閉鎖される日本国憲法の施行
大竹町が上水の給水を開始する新警察法の制定
大竹町に簡易裁判所・区検察庁が置かれる
小方小学校の校舎の大半が火災により焼失する
玖波町役場が新築される
天皇陛下が国立大竹病院と三菱化成大竹工場を巡行される
昭和23年1948大竹町・小方村自治体警察が設置される
大竹町立大竹高等学校が設立される
大竹公民館が開設される
旧海兵団内に広島管区警察学校が置かれる
大竹紙業株式会社が設立される
昭和24年1949広島電鉄が広島・大竹間のバスの運行を開始するドッジライン設定
小方小学校の校舎と講堂が新築されるシャウプ勧告
大竹・木野中学校が組合立大竹中学校に、玖波・小方中学校が組合立芸南中学校となる
広島県立大竹高等学校の開校式が挙行される
大竹電報電話局が設置される
昭和25年1950大竹町消防署が設置される朝鮮戦争
玖波公民館が開設される
大竹・坂上・小郷橋間に国鉄バスが運行を開始する
大竹調停協会が発足する
小方村で国民健康保険事業が実施される
昭和26年1951小方町制が施行されるサンフランシスコ講和条約
穂仁原小学校と飯谷小学校の統合問題が紛糾する日米安全保障条約
小方町役場が新築される
大竹町と木野村が合併する(大竹町)
大竹町と小方町の自治体警察が廃止される
ルース台風のため市域が甚大な被害を受ける
栗谷村で国民健康保険事業が実施される
昭和27年1952本土と阿多田島間で電気ケーブルの敷設が始まる
栗谷青年学校が開設される
組合立芸南中学校が廃止され、玖波中学校と小方中学校となる
町村教委員会が発足する
国立大竹病院の病棟が火災により焼失する
昭和28年1953大竹駅前に大竹有楽劇場が会館する朝鮮戦争の休戦協定
栗谷公民館が完成する町村合併促進法の施行
大竹町ほか5町村が合併について会合を開くテレビ放送の開始
昭和29年1954小方町で合併問題が紛糾する
両国橋が完成する
大竹市制が施行される
組合立峯陽中学校松渡分校が玖波中学校松ケ原分校となる
初めての大竹市長選挙が実施される
昭和30年1955大竹市青年連合会が結成される第一回原水爆禁止世界大会
大竹市婦人連合会が結成される
小方中学校の校舎が完成する
大竹市制施行祝賀行事が実施される
学友丸が進水する
小方青年学級が開設される
初めての市議会議員選挙が実施される
大竹市農業共済組合が設立される
昭和31年1956玖波地区の上水道拡張工事が完了する日ソ共同宣言
大竹小学校第四校舎と給食室が完成する日本の国際連合加盟
中国電力玖波発電所が竣工する
市庁舎が増築される
昭和32年1957原水爆禁止大竹市協議会が結成される
大竹小唄・大竹音頭の発表会が開催される
し尿投棄船(大清丸)が進水する
昭和33年1958国立大竹病院が移転する国民健康保険の全市適用
三菱ボンネル広島工場が誘致される
松ケ原小学校が移転される
立戸・青木線が着工される
阿多田島地区に青年学級が開設される
日本紙業大竹工場が誘致される
玖波町公民館が完成する
昭和34年1959阿多田島に簡易水道が設置される国民年金法の制定
玖波小学校の講堂が完成する
大竹町でボーイスカウトが結成される
小方中学校の体育館が完成する
昭和35年1960飯谷小学校の校舎が完成する日米安全保障条約の改定
栗谷小学校の校舎が完成する
大竹市下水道工事が着工される
大竹町でガールスカウトが結成される
広島電鉄の大竹市内循環バスの運行が開始される
大竹市青少年問題協議会が結成される
松ケ原に養老院(松寿園)が設置される
大竹市交通安全自治会が発足する
玖波小学校の給食室が完成する
明治新開の埋立てが完了する
塵芥焼却場が完成する
昭和36年1961飛石港の新設工事が着工される
駐留軍接収地が返還される
広島電鉄が栄町営業所を開設する
大竹公民館が閉鎖される
三井石油化学工業株式会社・三井ポリケミカル株式会社・三井化学工業株式会社・大日本化成株式会社が誘致される
昭和37年1962小方中学校の特別教室が完成する山陽線(広島・小郡間)の電化工事が始まる
穂仁原小学校の給食室が完成する
大竹保育所が完成する
交通安全大竹市民大会が開催される
玖波中学校の体育館が完成する
大竹中学校が完成する
国立大竹病院内に伝染病棟が完成する
栗谷中学校の特別教室が完成する
昭和38年1963栗谷小学校の給食室が完成する電話の自動化
市庁舎が増築される国民健康保険の7割給付の実施
青少年育成センターが開設される
大竹市民プールが完成する
文化会館が完成する
工業用水道工事が着工される
昭和39年1964小瀬川多目的ダムが完成する山陽線(広島・小郡間)の電化
東京オリンピックの聖火が大竹市を通過する東京オリンピック
市制施行10周年記念行事が開催される
消防庁舎が竣工される
昭和40年1965木野保育所と木野支所の移転工事が完了する
大竹市体育館が完成する
昭和41年1966唐船浜団地造成事業が竣工する
木野小学校が新築される
し尿処理場が完成する
昭和42年1967三井ポリケミカル大竹工場で爆発事故が発生する
立体交差道路の「翠橋」が完成する
昭和43年1968全国高校総合体育大会が開催され大竹市は相撲の会場となる小笠原諸島が日本に復帰
ごみ焼却場が完成する
南小島中央線ガード拡張工事が完成する
昭和44年1969ダイセル大竹工場で爆発事故による火災が発生する東名高速道路の開通
昭和45年1970大竹臨港(港町)土地造成工事が完成する日本万国博覧会(大阪万博)
飯谷小学校が閉校し、穂仁原小学校飯谷分校が開校される
ダイセル大竹工場で爆発事故による火災が発生する
湯舟団地造成事業が完成する
下水道終末処理場(簡易処理)が完成する
昭和46年1971上水道大竹配水池建設工事が着手される変動為替相場制に移行
栗谷小学校谷尻分校と広原分校が閉校となる
憩いの森が完成する
阿多田島小学校の校舎が完成する
大竹商工会議所ビルが完成する
昭和47年1972公害監視センターが完成する札幌オリンピック
三興化学工業で火災が発生する沖縄返還
大気汚染テレメーターが完成する日中国交回復
都市計画街路青木立戸線が開通し、カラー噴水の通水式が挙行される
市営住宅白石団地建替事業が着手される
昭和48年1973新幹線大竹トンネルが完成する
大竹小学校の防音改築事業が着手される
なかはま保育所が新設される
下水道終末処理広域処理が開始される
昭和49年1974大竹市農協成果物卸売市場が完成する
大竹駅舎が完成する
本町保育所が完成する
市制施行20周年記念事業が開催される
二階堂哲朗市長が死去し、市葬が行われる
玖波公民館が完成する
昭和50年1975山陽新幹線 岡山・博多間の開通
昭和51年1976小方小学校の校舎が完成する
大竹立戸山テレビ中継局が完成する
昭和52年1977小方中学校の校舎が完成する
松ケ原公民館が完成する
初めての自治会長会議が開催される
大竹警察署の新庁舎が完成する
中津井真氏が名誉市民に選定される
昭和53年1978栗谷中学校の校舎が完成する日中平和友好条約
玖波小学校の校舎が完成する
玖波西港内団地建替事業が着手される
昭和54年1979立戸保育所が完成する
昭和55年1980市庁舎が完成する
総合体育館が完成する
昭和56年1981総合市民会館・農林振興センター・栄公民館が完成する
栗谷小学校谷和分校が閉校となる
第一回市民まつりが開催される
阿多田島海底送水管敷設事業が完成する
昭和57年1982小方沖海面埋立事業が起工される
小方公民館・勤労者体育センターが完成する
玖波中学校と穂仁原小学校の校舎が完成する
昭和58年1983栗谷小学校の校舎が完成する
大竹港臨海部土地造成工事(第1期)が完成する
昭和59年1984阿多田島漁村センターが完成する
市制施行30周年記念事業が開催される
弥栄ダム定礎式が開催される
大竹会館(旧文化会館)が改装される
小方港(小万理港)が晴海二丁目に移転される
市営住宅御園団地建替工事が着工される
昭和60年1985大竹保育所改築工事が完成する
戸田工業株式会社が操業開始する
阿多田島・小方間のフェリーが就航される
穂仁原小学校飯谷分校が閉校となる
大竹港臨海部土地造成工事(第2期)が完成する
御園ハイツ宅地の分譲が開始される
昭和61年1986小方ポンプ場の新設工事が完成する
大竹下水処理場管理棟新築工事が完成する
栗谷児童館が完成する
松ケ原小学校移転改築工事が完成する
三井東圧化学株式会社が大竹市から撤退する
斎場の供用が開始される
昭和62年1987弥栄大橋が開通されるJR発足
ごみ焼却場が完成する
小方中学校の屋内運動場が完成する
小方ポンプ場が完成する
大竹港臨海部土地造成事業埋立地更地が竣工される
昭和63年1988広島岩国道路・山陽自動車道(大竹・岩国間)が開通される
自然の家やさかが完成する
黒川墓苑造成工事が完成する
昭和64年1989弥栄ダム本体工事が完成する消費税3%
大竹港臨海部土地造成事業埋立地宅地整備工事が完成する
市立図書館が開館する
三倉岳休憩所(ログハウス)が完成する
石本美由起氏が名誉市民に選定される
平成 2年1990大竹会館講堂(アゼリアホール)が完成する
学校法人ルネス学園大竹総合科学専門学校が開校される
養護老人ホームゆうあいの里が完成する
阿多田小学校の屋内運動場が完成する
広島岩国道路(大竹・岩国間)が開通される
平成 3年1991弥栄ダムが完成する湾岸戦争
玖波・青木線と恵川大橋が完成する
木野小学校の屋内運動場が完成する
大竹中学校の屋内運動場が完成する
平成 4年1992玖波七丁目地内宅地造成工事が完成する
平成 5年1993特別養護老人ホーム「ゆうあいホーム」が完成する
阿多田児童館が完成する
平成 6年1994松ケ原児童館が完成する
中市堰が完成する
栗谷中学校の屋内運動場が完成する
大竹市総合福祉センター「サントピア」が完成する
水道局庁舎が完成する
コミュニティサロン元町が完成する
立戸墓苑が完成する
市制施行40周年記念式典が開催される
第12回アジア競技大会広島1994が開催される
広島法務局大竹出張所・大竹区検察庁新庁舎が完成する
平成 7年1995大竹小学校の屋内運動場が完成する阪神・淡路大震災
休日診療所が開所される
平成 8年1996大竹市消防庁舎新築工事が完成する
海の家阿多田が完成する
コミュニティサロン栄町が完成する
漁業集落(阿多田地区)排水処理施設が完成する
弥栄オートキャンプ場が完成する
第51回国民体育大会が開催される
第32回全国身体障害者スポーツ大会「おりづる大会ひろしま」が開催される
阿多田島灯台資料館の吏員退息所・物置・油庫が国登録有形文化財に登録される
平成 9年1997大竹市医師会立訪問看護ステーションが開設される消費税5%
栗谷診療所が新築・移転される
玖島川親水公園が完成する
コミュニティサロン玖波が完成する
大和橋が改築される
平成10年1998農業集落(栗谷地区)排水処理施設が完成する長野オリンピック
松ケ原地区に上水道が通水する
大竹市地域防災無線システムが完成する
平成11年1999阿多田診療所が開所される
油見トンネルが開通する
平成12年2000マロンの里交流館が完成する
平成13年2001芸予地震
平成14年2002ワールドカップ 日韓大会
平成15年2003夢エネルギーセンター(ごみ固形燃料施設)が完成する
子育て支援センター・こども相談室が開館する
安条トンネルが開通する
大竹港東栄地区岸壁(-5.5m)が供用開始される
平成16年2004市道中市立戸線が開通する
松ケ原こども館が開館する
市制施行50周年記念式典が開催される
平成17年2005大竹中学校の校舎改築が完成する
平成18年2006大竹港東栄地区岸壁(-11m)が供用開始される
平成19年2007大竹港国際コンテナ定期航路が開設される
平成20年2008松ケ原小学校が閉校となる
学校法人ルネス学園大竹総合科学専門学校が閉校となる
平成21年2009
平成22年2010松ケ原集会所が完成する
防災行政無線の運用が開始される
地域情報通信基盤整備工事(ケーブルテレビ)が完成する
平成23年2011大竹小学校の校舎改築が完成する東日本大震災・福島第一原子力発電所事故
木野小学校が閉校となる
さかえ子育て支援センターが開設される
平成24年2012こいこいバスが本格運行となる
大願寺地区造成地の町名が小方ケ丘となる
平成25年2013小方小学校・小方中学校(小方学園)の移転改築が完成する
大竹市給食センターが完成する
阿多田小学校と穂仁原小学校が閉校となる
平成26年2014木野集会所が完成する消費税8%