甲島県境論争

「甲島(かぶとじま)」は、阿多田島から南に約7km、岩国港南東約10.6kmにある、瀬戸内海に浮かぶ、定期船も港もない小さな無人島です。周囲2kmの小島で、「兜島」とも書かれ、島の形状からその名がつけられたと思われます。

「国郡誌」小方村には、「甲島 周廻り22丁 地方(小方)より海上5里 但し芸防御境 姫か小島 周廻り16丁 地方より海上四里」とあり、また「郷邑記」小方村には「阿多田島より 3里境島なり 西南平は岩国より一番網を入、北東は阿多田より一番網を入る事 古形也、草山にして秋の末阿多田より火を付け焼くなり、寛政始め 岩国より石を取りしを此方より差留る、文化3年(1806年)測量かた渡海の節 双方より役人出会なり」とあり、昔から国境や採石場として、争いのあった場所であったようです。

甲島における石取り争いは、他にも記録が残っており、天保14年(1843年)2月には、「甲島石積取者あり、彼島に至る。船数艘 石工具岩国藩 開作方焼印の歩み板等取り揚げる。同四月、小瀬村役人歩み板返却方依頼すといえども、終に其物品小方村に残る」とあります。
さらに、「安政2年(1855年)12月、今津開作に付、岩国より甲島にて免札を以って割石至す者を捕らへ、免札および石工具取り揚げ、石工連れ帰る。柱島庄屋、石は従前より取り来たると申立てる。小方村には押へ来と答弁す。免札並び石工具・石積船とも一巻取り揚げ、物品小方に残る。」との記録も残っています。

また、広島藩の「御覚書帳」には「小方波田村の内、甲島、但し此島半分は周防領」とあり、江戸時代は東北半分が安芸国、西南半分が周防国で、北西の海上にある姫小島とともに小方村に属していて、境界線は俗に「兜鉢割」といわれていました。
一方、岩国藩の代表的な地誌である「玖珂郡誌」では、「甲島 形冑似たる故名づく、廻り18丁・高28間、嶺より西南の方周防、東北の方安芸領なり。芸防鉢割という。今津河口より3里、由宇組の内なりとて、海土路辺より柴草を取ていえども、甲島・姫ヶ子島ハ岩国の庄ノ沖故、岩国の属島なるべし。」
「姫ヶ子島…(略)高9間、廻り6丁、今津川口より2里、兜島より1里北。明暦3年(1657年)、姫ヶ子島公事には、目ヶ田新兵衛、広島行使者を以って岩国領となる、島人の伝。」とあり、広島藩と同様に南北で所属が分かれているという記述が見られます。

現在もこの島の真ん中は、大竹市と岩国市(旧由宇町)の市境(広島県と山口県の県境)があり、南北に分断されている形になっています。
ここが県境となったいきさつは、明治8年にさかのぼります。

明治8年(1875年)、山口県が広島県に対し、「安芸・周防にまたがる甲島は、これまで甲鉢割(かぶとはちわり:かぶとのような形状をした島を真ん中で左右に分けること)という協定によって境界が定まっているが、それが明瞭でないためにたびたび争いが起こっている。そこで、今後はこれまでの慣習にこだわらず、地形を基礎にした合理的な境界に改めたい」と申し入れました。
この山口県からの申し入れに対し、広島県では小方村に命じて甲島の国境に関する古い記録や絵図等の調査を行い、「甲島の境界については安芸・周防両藩の協議によって決定しており、今さら境界を変更しても双方に得失はなく、むしろ漁場当については紛争を招く恐れがある」といって回答しました。

山口県と広島県の意見が食い違ったため、両県は内務省に境界決定を求め、明治12年(1879年)にその調整が図られることになりました。
広島県側は、「広島県安芸郡倉橋島横島の南端と山口県玖珂郡海土路村蜑地ケ窪(あまちがくぼ)を見通す線が広島県と山口県の海上境界であり、それはまた両県の漁場境界でもある。したがって、広島県側にある甲島は当然小方村の所属である。また、甲島は古くから小方村によって草芽の焼払いなどを行って管理しており、寛文10年頃からは防長両藩の石切りなどを禁止した古い記録もある」と主張し、甲島はすべて小方村に帰属するとしました。
一方、山口県側は「小方村のいう蜑地ケ窪は海土路村の蜑地ケ窪の惣名であり、見通しを立てる地点にはならない。海上境界については、大竹川棒石と亥ノ子、小黒島の間を見通す線と厳島スヤの灯篭石と安芸郡倉橋島横島を見通す線とを結んだ線である。したがって、甲島は広島県側海域にはない。また、甲島の境界については、古くから甲鉢割と定まっており、東北半分が安芸に属し、西南半分が周防に属している。このことは寛文7年巡見使に対して差し出した書付によっても明らかであり、なお文政2年の芸藩通志にも安芸・周防各々その半分を領すとある」と主張し、西南半分は山口県由宇村のものであるとしました。

こうして、甲島の境界を決定するため、内務省の役人は甲島の現地調査を行い、山口県の主張のとおり、島の山(鉢が峰)の稜線に沿って、東北半分が広島県(小方村)に、西南半分が山口県(由宇村)に属するものとして境界が決定され、現在に至っています。

甲島の面積は、255,841㎡で、そのうち大竹市が131,237㎡、岩国市(旧由宇町)が124,604㎡となっています。
なお、海上境界は、木野川第一・第二棒石を見通し、第二棒石から沖2km地点から玖波村359高地(台場)を見通す線を、甲島高山に結んだ線と、甲島高山から鹿島の南端を結ぶ線で決定したものと考えられます。