太閤振舞い井戸

木野二丁目の中ほどに、豊かな清水の湧く浅い井戸があります。
木野地区では、「つぼかわの井戸」と呼ばれており、別名「太閤の振舞い井戸」ともいっています。

太閤とは豊臣秀吉のことで、秀吉は九州出陣の途中、木野村本郷で休憩し、この井戸水で点てた村人のお茶の振る舞いにたいそうご機嫌であったと伝えられています。

その後、秀吉は、朝鮮半島や明への進出を図り、文禄元年(1592年)に九州肥前の名護屋城を築き、大坂と九州を行き来していますので、その道中でも立ち寄ったと考えられます。

共用井戸として、また、田畑の灌漑用の井戸として、地域に貢献してきた「つぼかわの井戸」には、今日も大河原山からの湧き水が満ち溢れています。