氅(けごろも)の碑

松尾芭蕉は、奥の細道の旅を終えて5年後の元禄7年(1694年)10月13日に51歳で亡くなりました。

この碑は、その150年忌にあたる天保14年(1843年)に、小方地区の人々によって建てられたものです。

石碑の句は、死の前年の冬に詠まれたもので、俳諧7部集の「続猿蓑(ぞくさるみの)」に掲載されており、かるみを重んじた、晩年の芭蕉のお気に入りの句だったといいます。

「者世越」とは「はせお」と読み、芭蕉の俳号です。

芭蕉は、「蕉門の十哲」といわれる優秀な弟子に恵まれていました。

その中の一人、志田野坡(やば)は、大竹に幾度も立ち寄って同好の士に俳句を教え、小方では、元治元年(1864年)、当時の地元の俳人市川蘭史・永田斗泉などが、「氅社」という俳句の会を結成し、慶応から明治にかけて、この俳壇は隆盛を極めました。

こうした影響からか、市域の各神社・仏閣には、江戸後期からの「俳句の絵馬」が多く奉納され、市域には弟子の志田野坡の碑も、中国地方で唯一残っています。

また、この石碑は、文字の彫りが大変素晴らしく、栗谷町大栗林の瑞照寺裏山にある「新西国三十三番霊場」の石仏が、同時期の天保4年(1833年)に小方村の石工・松五郎の手によって作られており、この碑も松五郎の作とも推測されます。

現在、全国に岡山県西大寺と長野県高井郡木島平の2か所に同じ句碑があります。

 

所在地   大竹市小方一丁目18番12号
建立年 天保14年(1843年) 石の種類 花崗岩
高さ 139cm 最大幅 49cm
表記文字(表)   者世越   氅に つつみてぬくし 鴨の足
表記文字(裏)   天保十四卯年  為百五十回忌 追福之