飛石の疫神

小方の飛石港はいつ頃、どのようにできたのでしょうか。
その昔、小方と立戸の間は山際まで海でした。その海には、四個の石が飛石のように並び、姿・形から「包石(つつみいし)」、「烏帽子石(えぼしいし)」、「紅石(べにいし)」、「鞍掛石(くらかけいし)」と呼ばれ、名勝となっていました。

ところが、江戸時代の終わり頃に、この海の立戸寄りの埋め立てが始まり、長州戦争の翌年の慶応3年(1867年)に完了し、石の名前から「烏帽子新開」と名付けられました。
そして、残った海が現在の飛石港となりました。

飛石港の山際の一つの岩の中に、潮水がたまったくぼみがあり、この水をイボにかけると,そのイボが取れると信じられていました。また、大豆や小豆をくぼみに入れて手を合わすとイボが取れたとも言われていました。

その後、国道が拡張され、この岩も埋め立てられてしまいました。
昭和38年3月、これを惜しんだ有志により国道脇に「疣神の碑」が建立されました。