現在の元町二丁目児童公園には、かつて胡子神社があり、大瀧神社の秋の大祭では、ここで稚児舞が奉納され、中休みの場所になっていました。
昭和30年代半ばまで本通り(現本町一丁目)は一番の繁華街でしたが、経済成長と共に、大竹駅前・新町・栄町方面に移っていきました。
そして、胡子神社も昭和42年11月に本町一丁目の大竹会館前に遷移されましたが、注連柱は移されず、「大竹邨閘堰碑」の前に置き去りにされてしまいました。
もともと神社仏閣にあるものが、記念碑のような石造物の前に残されたのは、とても珍しい光景です。しかも、右の注連柱は、正しく正面を向いて建てられていますが、左の注連柱は、仲たがいしているかのように、左を向いています。
所在地 | 大竹市元町二丁目(元町二丁目児童公園) | ||
建立年 | 明治44年(1889年) | 石の種類 | 花崗岩 |
高さ | 318cm | 横幅 | 35cm |
表記文字(読み) | 義勇奉公(ぎゆうほうこう) 忠實服業(ちゅうじつふくぎょう) |