大竹海兵団跡之碑

大竹海兵団は、昭和15年(1940年)に呉鎮守府の呉海兵団大竹分団として設置され、翌年に大竹海兵団として独立しました。

海兵団は、海軍兵として志願・徴兵された新兵が、数か月に間、基礎教育と訓練を受けるところです。大竹海兵団では、15万人以上が訓練を受けたと言われています。

この地で訓練を受けた若者は、戦地に向かい、多くの若い命が失われました。そのことを忘れないため、平成3年にこの碑が建立されました。

また、太平洋戦争終結後、この地は、海外からの引揚船の入港地となりました。

昭和20年12月10日、第一船として、フィリピン・ニューギニア方面から氷川丸が大竹港に入港し、以来、主に南方方面から次々と引揚船が入港しました。

昭和22年1月末までに、実に41万783人の在外の軍人や民間人が、大竹港に上陸し、祖国日本の地を踏みしめました。

これらの海外からの引揚げと並行して、避難していた沖縄県人1,127人もここから再び沖縄に向かいました。

 

 

所在地  大竹市東栄二丁目(三井 デュポン・ポリケミカル敷地内)
建立年 平成3年(1991年) 石の種類 花崗岩
高さ 266cm 最大幅 185cm
側面幅 48cm 台座側面幅 123cm
台座高さ 54cm 台座横幅 250cm
表記文字(表)   大竹海兵団跡之碑
     千家達彦 書
 表記文字(裏)

 大竹海兵団は大東亜戦争を前にした昭和十五年十二月呉鎮守府管下の呉海兵団大竹分団として開団され、翌昭和十六年十一月二十日大竹海兵団として独立した海兵団は明治健軍以来海軍精神即ち、海軍魂を鍛えた伝統ある場所であった。
 曾ってこの地において大日本帝国海軍の基礎教育と訓練をうけるため各地より青少年が志願及び徴兵等によって入団し、尽忠報国の念に燃え愛する祖国のために血と汗と涙を流した人数は実に十五万数千人に達したと言われている。
 又基礎教育訓練終了後前線に配属され青春の尊い命を散華した英霊は数えつきない。茲に大竹海兵団創設五十周年にあたり同団関係者各位等のご協力により記念の跡之碑を建立して平和の尊さを永く後世に伝えるものである。

 

    平成三年十一月二十日 建立
         大竹海兵団跡地記念碑建設委員会