宝篋印塔(ほうきょういんとう)

明和8年(1771年)建立と刻まれており、江戸中期に入り、石造物が一般庶民の中に民間信仰の形で波及し始めた頃の貴重な石造物で、造りも大変精密なものです。市域では、この形式の石造物はここだけに現存しています。

特に、明和年間は全国的に大火、洪水が発生した上に、飢餓・疫病なども流行したので、明和9年を「迷惑な年」として、安永と改元したほどでした。

大竹村の人々は、これに歯止めをかけようと願い、大変立派なものを建立したようです。

塔身の上部には、金剛界五仏を梵字で表しています。ただし、大日如来は、宝篋印塔自体になるので、梵字は東西南北の四面仏のみとなっています。