小瀬川の灯篭流し

灯篭流し太平洋戦争終結後の昭和22年(1947年)、暗く厳しい社会情勢の中、当時かつての大竹町5区青年団(現本町1・2丁目)が「灯篭流し」を始めました。

当時は麦わらを両方で縛り、真ん中に古い布に古い油をしみ込ませた物を、川舟で大和橋の上流から流していました。
麦わらでは燃えるので、次の年からは木の板に代わり、その次からは紙の灯篭を上に載せて流すようになり、年々工夫されました。
また、舟には浴衣を着た若い娘さんを乗せたので、他地区の青年団からとても羨ましがられていました。

この灯篭流しは、昭和30年代始め頃まで行われたといわれていますが、その頃から、大竹祭りの竹建て(注連縄)が道路の舗装化などによって軒に括りつけられるなど、昔から引き継がれた様々な伝統文化は少しづつ消えて行き始め、灯篭流しもいつしか行われなくなったそうです。

それでも小瀬川の水の恵みを愛し続けた大竹の人たちは、色々な思いを重ね、平成9年(1997年)に本通り商店会では灯篭流しの復活を計画しました。
川や海の環境問題に配慮し、水に溶ける灯篭を静岡市より購入して流しましたが、経費がとてもかかり、2年続けましたが、別の方法を考えようと大竹商工会議所青年部に研究依頼しました。

その結果、浮き台は食パン(水を通さないよう害にならない薬品を塗る)とし、上は和紙で作るという現在の形になりました(食パンは魚君の餌になり、和紙は自然に解けるという考えです)。

お世話をする方は、みなさんが楽しさの中で夏を満喫してほしいと願い、そして小瀬川の怒りを静め、水面に映る平和の灯りが海に向って緩やかに流れていく中で、祈りを捧げて欲しいと毎年7月に行われています。