顕徳寺

天文14年(1545年)に、「道近」という僧により開基されたといわれ、市域の勝善寺、光明寺に遅れること37年後に建立されました。

幕末の慶応2年(1866年)の第二次長州征討では、彦根藩藩士木俣土佐守・戸塚庄大夫の兵約600が午後2時頃に顕徳寺に集結し、前線基地として本陣を置きました。

夕刻には青き堤防に進み「長州兵など何のことはない、明日は錦帯橋見物としゃれこみ、土産を買って帰ろうや」と、夏の暑い頃でもあり、道端にごろ寝したと言われています。

 

所在地  大竹市油見二丁目
建立年