その昔、玖波の唐船浜は、二つの岬に抱かれた奥深い入江でした。大野村から「鉾の峠」を越えた山陽道は、この浜の山手を通り、玖波の町へと続いていました。
1802年に編纂された「玖珂郡志」には、太閤秀吉の時代にこの唐船浜で「坊房丸」という船が建造されたという話が載っています。
この船の材料は、周防の国、小瀬村乙瀬(現在の岩国市小瀬)の「船板」という場所から切り出されたいわれ、今もその地名が残っています。
輸送がままならない当時は、巨木を切り倒したその場で必要な大きさの板に挽いて船板として運び出しました。これらの木材は小瀬川をいかだで下り、海上を唐船浜まで運ばれました。
唐船とは、中国や朝鮮などの外国船をいいましたが、同型の日本製の船も唐船と呼んだようです。
長門の島と呼ばれた倉橋島にも唐船浜という地名があり、ここでは遣唐使船が造られていたといいます。