小瀬川を溯ること約25km、広島県天然記念物「蛇喰盤」の手前から右に向かい栗谷大野線県道289号線を約1kmほど玖島川に沿って向かうと、右手に「新西国三十三番霊場七観音の説明板」があります。
ここから坂道を上ると、「曹洞宗 安養山 瑞照寺」の山門があります。
瑞照寺は、応永10年(1403年)に恵芳禅師により開基され、大竹市域では最も古く600年以上の歴史を刻んでいます。この境内から見る安芸の三大名山ともいわれてきた県立自然公園「三倉岳」を遠望することが出来ます。
寺院左側から小高い丘を一巡する霊場があります。
この霊場には、畿内の西国三十三カ所観音寺の巡礼とほとんど同じ観音石仏が配置されており、約30分で参詣することが出来ます。
近畿地方2府5県に点在する観音霊場を一巡する「西国三十三所観音霊場」を、地元に居ながらにして信仰できるようにと各地に造立されています。その一つとして栗谷町大栗林に信者により造立されたもので、高さ70cmから100cmを越える自然石に「浮き彫り」され精巧に作り上げています。
しかも三十三像が、幾多の雨風そして土砂崩れにも遭いながら、一体としてかけることなく信仰の対象として守られています。
七観音とは、「聖観音3軀」、「十一面観音8軀」、「千手観音13軀」、「如意輪観音6軀」、「准胝観音1軀」、「不空羂索観音1軀」、「馬頭観音1軀」で、市域では広島型花崗岩地帯を流れる小瀬川と合流する玖島川などで、村人たちが思い思いの石を運び上げ、天保4年(1833年)10月、地方霊場として村人たちの篤い信仰によって完成しました。
寺院左側には、この石仏を彫った四角柱の碑文があり、小方村石工「松五郎作」とありますが、観察すると二種類以上に分類することができ、松五郎一人ではなく複数の弟子も加わったものと推定できます。すでに180年以上の風雪に耐えながら、神々しさは今も変わらず観る人の心を和ませてくれます。
また、山頂の第二十六番の所には、すでに元禄のころに建立された「観音祖堂」があり、平成5年8月に檀信徒により再建新築されています。
また、瑞照寺では、毎年7月最終日曜日に60名を超える檀信徒が集まり巡拝道の整備を行い、8月18日の観音菩薩のご縁日には、広島や宮島などの禅宗・曹洞宗寺院の僧侶を招き、地元以外の信者も多く集まり「塔婆回向」の大法要が営まれます。
寺院境内にある「新西国三十三番霊場」という石柱には、趣旨・年代・石仏作者名などが記録されています。
右側面 表記文字 |
擬霊場而配置三十三所以鐫其尊容則普門示現之相彰如西国三十三所実是仙 家縮地之方也資其工科者遐通信者幾千人幹其亊者五六人記姓名以其功于末 正焉仰冀巡礼之輩知寔所在近而不遠遠詣于此則蒙慈眼視衆光祓凶穫吉転凡 入聖無疑。銘曰安養山上寺石権現普門示現時哉今 清信士女斉行喜施三十三所 択擬昊場纔鐫妙相忽現慈愍于朝于暮念彼大慈福不唐損与楽救危解脱衆苦成就所恩 知力具足諸着自離到涅槃岸受浄邦橲昭昭仏説無人不知一心一昌誓勿生疑 |
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意味 |
それ観音の、大きな業績の三十三所霊場は、真に説法の冠です。 |
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側面 表記文字 |
児美屋 新五郎 林次 願主 広原 大平次芳右衛門 大次 |
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碑陰 表記文字 |
維時 天保第四龍次癸巳 小晴 十八日 小方住 石工 松五郎 作 現瑞照七世 亮堂 謹呈 |