玖波では、大正6年(1917年)に公有水面の埋め立てが計画され、翌大正7年(1918年)に工事に着手しましたが、その完成までには約20年の年月がかかりました。
公有水面の埋め立ては、4工区に分けて実施され、その計画埋め立て面積は21,348坪になりました。
第一工区の2,701坪は昭和2年(1927年)に、第二工区の2,922坪は翌年の昭和3年(1928年)に完成し、「新駅内」の地名が付けられ、玖波町の区域に編入されました。
第三工区の2,951坪は昭和8年(1933年)に完成し、港内として玖波町の地籍に編入されました。
第四工区の港内から恵川までの12,772坪の工事は、昭和11年(1936年)に完成し、玖波町の区域に編入されました。この第四工区が後の西港内になります。
この埋立事業によって、玖波の町の様子は一変することになりました。