木野一丁目の格子戸通りの中程から山手にかけて、厳島神社の参道があります。
この石段を少し登ると、左手に平成7年の秋に再建された「中の大師堂」があります。
大正8年に弘法大師を深く信仰する宮島町の一人の女性が、重い病にかかり医師から死を宣告されました。しかし、幼い子を持つ身で、弘法大師に祈願したところ回復に向かい、その後も子どもを授かりました。そして、夫である陶芸家が、弘法大師を表した仏様を千躰作りあげ、千人の方に差し上げ、厚恩に報いることにしたと言われています。
その中で中津原の信者もご縁があって一体いただき、祠を立ててお祀りしたのが始まりです。
平成7年に銀杏の木が倒れ、お堂が崩壊したので建て替えられました。現在4体の仏像がおられますが、当時の陶器の弘法大師像は不明となっています。