元号 | 西暦 | 大竹市域のできごと | 日本史・広島県のできごと |
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大化元年 | 645 | 大化の改新 | |
大宝元年 | 701 | 大宝律令の制定 | |
和銅 3年 | 710 | 平城京遷都 | |
養老 2年 | 718 | 養老律令の制定 | |
天平 6年 | 734 | 大竹川をもって安芸・周防両国の境とする(続日本紀) | |
天平15年 | 743 | 墾田永年私財法の公布 | |
延暦13年 | 794 | 平安京遷都 | |
久安 2年 | 1146 | 平清盛が安芸守となる | |
永暦元年 | 1160 | 平清盛が始めて厳島神社に参詣する | |
長寛 2年 | 1164 | 佐伯郡を佐東郡と佐西郡に改める | |
仁安 3年 | 1168 | 厳島神社が大造営される | |
治承 4年 | 1180 | 源頼朝が伊豆で挙兵する | |
文治元年 | 1185 | 平氏が壇ノ浦で滅亡する | |
承久 3年 | 1221 | 承久の乱 | |
文永11年 | 1274 | 文永の役 | |
弘安 4年 | 1281 | 弘安の役 | |
元弘12年 | 1333 | 鎌倉幕府滅亡 | |
応安 2年 | 1369 | 小方村の厳宮大明神が再建される | |
応安 4年 | 1375 | 鎮西探題 今川了俊が市域を通過する | |
永和元年 | 1375 | 大栗林村に河内大明神が勧請される | |
至徳元年 | 1384 | 谷和村に河内大明神が遷宮される | |
至徳 2年 | 1385 | 小栗林村に河内大明神が勧請される | |
この頃大竹村(弥ケ迫)に西福寺があった | |||
康応元年 | 1389 | 鹿苑院殿厳島詣記に「おかだ」の地名が見られる | |
明徳 3年 | 1392 | 南北朝合体 | |
応永 8年 | 1401 | 足利義満が明と国交を結ぶ | |
応永10年 | 1403 | 大栗林村に瑞照寺が建立される | |
応永17年 | 1410 | 谷和村に万覚寺が建立される | |
寛正 5年 | 1464 | 後原に河内大明神が勧請される | |
応仁元年 | 1467 | 応仁の乱 | |
延徳元年 | 1489 | 玖波村に誓立寺が中興する(禅宗を真宗に改める) | |
永正 5年 | 1508 | 大竹村に光明寺が建立される | |
永正12年 | 1515 | この頃大竹村に勝善寺と建立される | |
天文 7年 | 1538 | 玖波村に称名寺が建立される | |
天文 9年 | 1540 | 尼子晴久が毛利氏の吉田郡山城を攻める | |
天文10年 | 1541 | 尼子勢が毛利氏に敗れる | |
天文14年 | 1545 | 油見村に顕徳寺が建立される | |
天文15年 | 1546 | 玖波村に順光寺が中興する(天台宗を真宗に改める) | |
天文20年 | 1551 | 陶晴賢が大内義隆を討つ | |
天文23年 | 1554 | 毛利氏と陶氏が開戦(折敷畑の戦い) | |
弘治元年 | 1555 | 厳島の戦いにより陶氏が滅亡する | |
弘治 2年 | 1556 | 小方の百貫文の土地が毛利氏の熊谷信直に与えられる | |
玖波村の大歳大明神が再建される | |||
永禄 3年 | 1560 | 熊谷九郎に黒川村が与えられる | 桶狭間の戦い |
永禄 9年 | 1566 | 毛利氏が尼子氏を滅亡させる | |
天正 2年 | 1574 | 小栗林村に安楽寺が中興する | |
天正 5年 | 1577 | 厳島神社で三万部経の読経が行われ小方や玖波からも経衆が渡海する | |
天正 6年 | 1578 | 児玉四郎右衛門に瀬田・関ヶ浜・大滝の一部が与えられる | |
天正16年 | 1588 | 賀屋五右衛門が阿多田島在住を命じられる | |
天正19年 | 1591 | 熊谷氏に代わり桂四郎兵衛が小方に入り支配する | |
文禄元年 | 1592 | 文禄の役 | |
慶長 5年 | 1600 | 関ヶ原の戦い | |
慶長 6年 | 1601 | 福島正則に安芸国が与えられる | |
福島伯耆守正宣に小方(1万石)が与えられる | |||
福島主膳正に玖波(5千石)が与えられる | |||
慶長 8年 | 1603 | 福島氏が小方に亀居城の築城を開始する | 江戸幕府が開かれる |
慶長12年 | 1607 | 亀居城主福島伯耆守正宣が死亡する | |
慶長13年 | 1608 | 亀居城が完成する | |
慶長16年 | 1611 | 亀居城が破却される | |
松ケ原が大野村から分かれて松ケ原村となる | |||
小方村に立安寺が再建される(禅宗を真宗に改める) | |||
小方村の円通寺が廃寺となる | |||
大竹村と関ヶ浜村に貝取り論争がおこる | |||
元和元年 | 1615 | 小方村に西念寺が建立される | 武家諸法度と禁中並公家諸法度が定められる |
元和 5年 | 1619 | 福島正則が改易となり浅野長晟に安芸・備後が与えられる | |
浅野家家老の上田重安(宗箇)に小方が与えられる | |||
元和 6年 | 1620 | 奥谷尻が谷尻村から分かれて奥谷尻村となる | |
寛永元年 | 1624 | 郡毎に数名の大庄屋を置く | |
寛永 6年 | 1629 | 大竹村と和木村に青木毛保論争がおこる | |
寛永 9年 | 1632 | 玖波に本陣が整備される | |
木野川に石垣(二ヶ所)が築かれる | |||
寛永12年 | 1635 | 参勤交代の制度が確立される | |
寛永13年 | 1636 | 紀州塩津浦の漁師の平右衛門が小方に掛引網漁法を伝える | |
寛永14年 | 1637 | 島原の乱 | |
寛永16年 | 1639 | 玖波村に口屋(新居浜村の別子銅山の瀬戸内側の物流拠点)が置かれる | |
寛永18年 | 1641 | 後原が小栗林村から分かれて後原村となる | |
寛永20年 | 1643 | この頃松ケ原村の無量山成通寺が廃寺となる | |
正保 3年 | 1646 | 小栗林村と浅原村に山境争いがおこる | |
承応 3年 | 1654 | 木野川の寛永の石垣が洪水で流される | |
明暦元年 | 1655 | 大竹村と和木村に与三開き論争がおこる | |
万治元年 | 1658 | 大竹村と和木村に海苔取り論争がおこる | |
万治 2年 | 1659 | 小方村飯谷と谷和村に山境論争がおこる | |
寛文 2年 | 1662 | 大竹村と和木村に貝取り論争がおこる | |
寛文 8年 | 1668 | 大竹村と瀬田村に流木論争がおこる | |
寛文 9年 | 1669 | 大竹村と和木村に貝取り論争がおこる | |
延宝 2年 | 1674 | 大竹村青木新開が洪水により流される | |
延宝 4年 | 1676 | 油見新開が築調される | |
貞享 2年 | 1685 | 大竹村と和木村に貝取り論争がおこる | |
貞享 4年 | 1687 | 小栗林村と浅原村に山境論争がおこる | |
元禄 5年 | 1692 | 大竹村と和木村に貝取り論争がおこる | |
元禄11年 | 1698 | 大竹村と和木村に貝取り論争がおこる | |
元禄13年 | 1700 | 小方村に紙座(紙見取改所)が置かれる | |
宝永 2年 | 1705 | 小栗林村と浅原村に山境論争がおこる | |
大竹村と和木村に与三開き論争がおこる | |||
正徳 2年 | 1712 | 大火のため玖波村の270軒が焼失する | 郡制改革により代官制が廃止され佐伯郡には3人の所務役人と6人の頭庄屋が任命された |
正徳 4年 | 1714 | 大竹村と和木村に宮本毛保論争がおこる | |
享保 3年 | 1718 | 領内で大一揆がおこる | 郡制が代官制に戻る |
享保 5年 | 1720 | 小栗林村と浅原村に山境論争がおこる | |
享保 6年 | 1721 | 洪水、気候不順、イナゴなどによる被害が発生する | |
享保 7年 | 1722 | 給主の上田氏から給米50石が20か村に分配される | |
享保 9年 | 1724 | 市域の沿岸部に暴風雨や洪水による被害が発生する | |
享保12年 | 1727 | 大火のため玖波村の86軒が焼失する | |
享保20年 | 1735 | 大洪水によって大竹村の宝永の石垣が決壊する | |
元文 4年 | 1739 | 小栗林村と浅原村に山境論争がおこる | |
寛延元年 | 1748 | 朝鮮使送迎のため玖波村・小方村から加子(船員)14名が出る | |
暴風雨と洪水のため大きな被害が発生する | |||
宝暦 2年 | 1752 | 和木村の鰯網が市域に入ってきたため、玖波村と小方村の漁師がこれを差し止める | |
後原村に疫病が流行し、罹患者54人、死者18人となる | |||
大竹村と和木村に与三開き論争がおこる | |||
宝暦 7年 | 1757 | 暴風雨と高潮のため領内に大きな被害が出る | |
宝暦 9年 | 1759 | 上田氏の家臣の鳳州福山貞儀が洪量館記を記す | |
明和 5年 | 1768 | 人馬改めが行われた(これによると小方村の人口は2,306人であった) | |
明和 9年 | 1780 | 小方村飯谷と谷和村に山境論争がおこる | |
天明 6年 | 1786 | 領内各地に一揆がおこる | |
寛政元年 | 1789 | 大竹村と和木村に宮本毛保論争がおこる | |
大竹村と和木村に境界論争がおこる | |||
寛政11年 | 1799 | 大竹村と和木村に境界論争がおこる | |
享和元年 | 1801 | 大竹村と和木村に磯論争がおこる | |
安芸・周防の境界の協議が調い、境界の杭打ちが行われる | |||
享和 2年 | 1802 | 大竹村と和木村の磯わけが行われる | |
文化 3年 | 1806 | 油見新新開が築調される | |
文化13年 | 1816 | 玖波村に板割物定問屋が設けられる | |
文政元年 | 1818 | 立戸沖新開が築調される | |
文政 2年 | 1819 | 広島藩が「芸藩通志」編修のため各村から国郡志の提出させる(これによれば市域は2,538戸、11,005人であった) | |
天保 3年 | 1832 | 小島新開が築調される | |
天保 7年 | 1836 | 領内に大飢饉がおき、小方村の百姓250軒が潰れる | |
天保14年 | 1843 | 大火により玖波村の上之町・中之町・その他民家が焼失する | |
弘化 2年 | 1845 | 市域の各村に洪水によって大きな被害が発生する | |
嘉永 4年 | 1851 | 玖波村が窮乏のため百姓騒動をおこす | |
嘉永 5年 | 1851 | 小方村に新町新開が築調される | |
嘉永 6年 | 1852 | アメリカ使節のペリーが浦賀に来航する | |
安政元年 | 1854 | 小島新開が一村として分立する | |
安政 5年 | 1858 | 油見村と大竹村に百姓騒動がおこる | |
安政 6年 | 1859 | 沿岸部一体に疫病が流行し、罹患者1,759人、死者180人となる | |
文久 3年 | 1863 | 割庄屋の和田吉左衛門が台場構築のために諸島の調査を行う | 薩英戦争 |
上田氏が大野村・小方村の海岸に台場の構築を命じる | |||
小方村の円通寺跡と黒川村の妙見山の東に台場が築かれた | |||
農兵隊の設置にともない玖波・小方に屯所が設けられた | |||
元治元年 | 1864 | 市域で合戦準備が行われる | 禁門の変・第一次長州戦争 |
慶応元年 | 1865 | 第二次長州戦争 | |
慶応 2年 | 1866 | 芸州口の戦いにより市域の家屋1,734軒が焼失し、罹災者8,996人となる | 薩長同盟 |
慶応 3年 | 1867 | 烏帽子新開が築調される | 王政復古 |
明治元年 | 1868 | 明治新開が築調される | 戊辰戦争 |
明治 2年 | 1869 | 烏帽子新開の作地配分をめぐって騒動が起きる | 版籍奉還 |
明治 3年 | 1870 | 小方村の境番所が再建される | 平民に苗字の名乗りが許される |
明治 4年 | 1871 | 玖波村に郵便取扱所が置かれる | 廃藩置県 |
小方村上ノ町新地で火事により民家35戸が焼失する | |||
明治 5年 | 1872 | 地震により新町新開・烏帽子新開・青木堤の一部が崩壊する | 割庄屋等が廃止され戸長等が置かれる |
玖波・阿多田島間に郵便船が就航する | 大区・小区制度が実施され,佐伯区は第四大区となり,14の小区に分けられる | ||
学制が始まる | |||
地券が発行される | |||
明治 6年 | 1873 | 玖波村に板・木材・竹類の改所が置かれる | 徴兵令 |
広島・大竹間の新道の建設工事が始まる | 地租改正 | ||
明治 7年 | 1874 | 暴風雨により明治新開と小方新開が決壊する | 民選議院設立の建白書 |
佐賀の乱 | |||
明治 8年 | 1875 | 小方村に教員伝習所が設けられる | 千島・樺太交換条約 |
明治 9年 | 1876 | 木野川通船工事が完成する | 廃刀令 |
神風連の乱・秋月の乱・萩の乱 | |||
明治10年 | 1877 | 玖波村に広島県警察署廿日市分署第一分屯所が置かれる | 西南戦争 |
明治11年 | 1878 | 広島県と山口県が甲島境界見届書を取り交わす | 郡区町村編成法の制定 |
大和橋が架橋される | |||
戸長役場が玖波・小方・大竹・大栗林に置かれ,戸長各1名が選任される | |||
明治12年 | 1879 | コレラが流行し,船客取調所が廿日市・草津に置かれ,船貨検疫所が大竹村と玖波村に置かれる | 広島に国立第146銀行が置かれる |
明治13年 | 1880 | 廿日市・大竹間の新道が完成する | |
玖波村警察分署が小方村に移される | |||
大河原の土地所有権争いが起きる | |||
立戸新開入川堤防の利用をめぐり小方村と油見村の争いが起きる | |||
私立小学校の明心舎が設立される | |||
明治14年 | 1881 | 小方分署の持区域に小島新開が加わる | 学令児童就学督責規則の制定 |
大竹製紙審査会社が設立される | |||
明治15年 | 1882 | 大竹村・大栗林村に郵便局が置かれる | 軍人勅諭 |
穂仁原小学校が設立される | |||
小方村警察分署が大竹村に移される | |||
明治16年 | 1883 | 飯谷小学校が設立される | |
大野村と松ケ原村の山論は松ケ原村の勝訴となる | |||
大竹分署玖波交番所が新設される | |||
大野村と小栗林村の山論は小栗林村の敗訴となる | |||
大竹村上市に私設消防組が結成される | |||
明治17年 | 1884 | 印紙類売捌所が玖波・大竹・木野・大栗林の各村に設けられる | 郡区役所に兵事係が置かれる |
水利土功区域に新町新開・烏帽子新開が編入される | |||
明治18年 | 1885 | 栗林小学校奥谷尻分校が設置される | 広島県の小学校が郡単位に統合される |
明治19年 | 1886 | 印紙類売捌所が小方村に設けられる | 広島鎮台を第五師団と改称 |
台風により沿岸部の村が被害を受ける | 小学校令 | ||
コレラが流行し,大竹村と玖波村に検疫所が置かれる | |||
玖波村で火事により民家20戸が焼失する | |||
明治20年 | 1887 | 教科書検定規則の制定 | |
明治21年 | 1888 | 阿多田島本浦東で火事により民家28戸が焼失する | 市制・町村制の公布 |
明治22年 | 1889 | 大竹村と小島新開村が合併する(大竹村) | 大日本帝国憲法の公布 |
小方村と黒川村が合併する(小方村) | 消防組規則の制定 | ||
大栗林村・小栗林村・後原村・谷和村が合併する(栗谷村) | |||
峠村・渡ノ瀬村・松ケ原村が三和村に統合される | |||
大竹村と油見村の町村組合が設置される | |||
明治23年 | 1890 | 玖波村でコレラが発生し,4人が死亡する | 府県令・郡制の公布 |
教育勅語 | |||
小学簡易科の廃止 | |||
明治24年 | 1891 | 大竹改良製紙組合が設立される | |
小方村下ノ町で火事により民家12戸が焼失する | |||
明治25年 | 1892 | 玖波村に私設消防組が設立される | |
大竹村に高等小学校が設立される | |||
明治26年 | 1893 | 玖波村で赤痢が流行する | |
小方村で松樹伐採条例を設け育林を図る | |||
明治27年 | 1894 | 大竹村・油見村・玖波村で赤痢が流行して59人が死亡する | 日清戦争 |
神戸・広島間の鉄道開通 | |||
明治28年 | 1895 | 沿岸部でコレラが流行する | 日清講和条約調印 |
明治29年 | 1896 | 国立第146銀行が広島銀行に改称 | |
明治30年 | 1897 | 大竹貯蓄銀行が設立される | 広島・徳山間の鉄道開通 |
明治31年 | 1898 | 玖波村で火事により民家21戸が焼失する | |
明治32年 | 1899 | 小方村と阿多田村に衛生組合が設立される | |
蚕業講習所短期講習会が木野村で開催される | |||
明治33年 | 1900 | 玖波村役場が新築される | |
小方尋常小学校に高等科が併設される | |||
暴風雨のため新町新開・烏帽子新開・宗十郎新開が決壊し,玖波村では民家60戸余りが流失する | |||
明治34年 | 1901 | 大竹尋常高等小学校の校舎増設工事が完成する | |
玖波尋常小学校の校舎が完成する | |||
福松銀行の木野出張所が開設される | |||
木野村役場が完成する | |||
明治35年 | 1902 | 玖波尋常小学校に高等科が併設される | 日英同盟 |
風水害のため大和橋が流失する | |||
大竹・阿多田島・玖波浜・油見・小方・立戸に漁業組合が設立される | |||
明治36年 | 1903 | 阿多田島白石に灯台が設置される | 小学校国定教科書制度 |
明治37年 | 1904 | 大竹村青木で火事により民家13戸・納屋4戸が焼失する | 日露戦争 |
明治38年 | 1905 | 日露講和条約調印 | |
明治39年 | 1906 | 大竹村でペストが発生する | 山陽鉄道の国有化 |
芸防抄紙株式会社が設立される | |||
明治40年 | 1907 | 福松銀行の玖波支店が開設される | 義務教育の年限が6年になる |
各村に在郷軍人会が結成される | |||
明治41年 | 1908 | 玖波村と大竹村に青年会が結成される | |
村上銀行の大竹支店が開設される | |||
大竹貯蓄銀行の玖波出張所が開設される | |||
明治42年 | 1909 | 小方村役場が完成する | 種痘法の公布 |
大竹村に特設電話が設置される | |||
明治43年 | 1910 | 大竹町制が施行される | 日韓併合 |
大竹町婦人会が発足する | |||
木野川製紙組合が設立される | |||
大竹信用販売組合が設立される | |||
大竹町製紙組合が設立される | |||
明治44年 | 1911 | 大竹町青年会館が完成する | |
明治45年 | 1912 | 木野村に積善会が結成される | |
宮島口・大竹間に乗合馬車が開通する | |||
大正 2年 | 1913 | 小方・黒川の区有林が整理統合される | |
八田貯蓄銀行預金の支払いを停止する | |||
大正 3年 | 1914 | 福松銀行の預金の支払いを停止する | 第一次世界大戦 |
暴風雨により玖波村の漁船62隻が破損する | |||
芸防抄紙株式会社が土佐紙株式会社芸防支店となる | |||
大正 4年 | 1915 | 岩国電気軌道が玖波村に送電を開始する | |
前飯谷の河内神社が焼失する | |||
大正 5年 | 1916 | 大竹耕地整理組合が設立される | 村上銀行が広島銀行と合併する |
大竹町普通水利組合が設立される | |||
大竹貯蓄銀行が高知銀行と合併する | |||
大倉組山陽製鉄所の用地買収が完了する | |||
小方郵便局が設置される | |||
福松銀行が破産宣告を受ける | |||
大竹町青木で火事により民家30戸が焼失する | |||
大正 6年 | 1917 | 大倉組山陽製鉄所が操業を開始する | |
大正 7年 | 1918 | 大竹町で信用労働組合が結成される | シベリア出兵 |
貴族院議員に大竹町の二階堂三郎左衛門が当選する | 第一次世界大戦終結 | ||
大正 8年 | 1919 | 結核予防法の制定 | |
大正 9年 | 1920 | 小方町黒川で火事により民家20戸が焼失する | 第一回国勢調査の実施 |
広島銀行が小方派出所を設置する | |||
大正10年 | 1921 | 製紙産業組合が設立される | ワシントン軍縮会議 |
広島銀行が木野派出所を設置する | |||
玖波村公設消防組が設置される | |||
大正11年 | 1922 | 大倉組山陽製鉄所が閉鎖される | |
大正12年 | 1923 | 小方村公設消防組が設置される | 郡制廃止 |
関東大震災 | |||
大正13年 | 1924 | 玖波町制が施行される | メートル法の実施 |
玖波町実業補習学校に女子部が置かれる | |||
玖波町下ノ町で火事により民家20戸が焼失する | |||
大正14年 | 1925 | 西岩国・大竹間乗合自動車が運行される | 衆議院議員普通選挙法公布 |
木野川が氾濫する | 治安維持法の制定 | ||
三和村役場が火事により焼失する | |||
大竹町公設消防組が設置される | |||
大正15 | 1926 | 栗谷村公設消防組が設置される | 治安警察法の施行 |
大和橋が永久橋となる | |||
大竹警察署が設置される | |||
玖波町商工会が設立される | |||
昭和 2年 | 1927 | 阿多田島に郵便取扱所が置かれる | 金融大恐慌 |
蚕業取締所小方出張所が置かれる | |||
玖波町地先海面埋立地が字新駅内となる | |||
大竹町役場が新築される | |||
昭和 3年 | 1928 | 洪水のため沿岸部の民家約340戸が浸水し,田畑約40haが流失する | 山陽鉄道の複線化 |
玖波町地先海面埋立工事(第二期)が完成する | |||
私立大竹幼稚園が開設される | |||
昭和 4年 | 1929 | 大竹町の東西両校の統合問題が起きる | |
大竹町と油見村が合併する(大竹町) | |||
友原村と三和村が合併する(友和村) | |||
油見・立戸・烏帽子新開の灌漑用水開通工事の竣工式が行われる | |||
大和館が開設される | |||
玖波町と小方村に特設電話が設置される | |||
昭和 5年 | 1930 | 大竹町に養豚組合が結成される | |
大竹東小学校が廃止される | |||
昭和 6年 | 1931 | 玖波・大竹・小方に養蚕実行組合が結成される | 県三部制の廃止 |
満州事変 | |||
昭和 7年 | 1932 | 栗谷村に電話所が設置される | 満州国成立 |
大竹幼稚園の園舎が完成する | 5・15事件 | ||
小方村安条に出張医療所が設置される | |||
栗谷村役場が新築される | |||
昭和 8年 | 1933 | 大竹町・小方村に耕地整理組合が設立される | 日本が国際連盟を脱退 |
玖波町・小方村の地先海面埋立地が明治新開となる | |||
新興人絹株式会社を誘致する | |||
玖波中央港が築港される | |||
昭和 9年 | 1934 | 大竹自動車組合が設立される | |
大竹町国防婦人会が結成される | |||
阿多田港の築港が始まる | |||
昭和10年 | 1935 | 木野郵便局が設置される | |
栗谷村に木炭検査員駐在所が置かれる | |||
大竹町に託児所が設置される | |||
大竹柿栽培出荷組合が設立される | |||
栗谷村に診療所が設置される | |||
昭和11年 | 1936 | 小島新開に広島飛行場が設けられる | 2・26事件 |
大竹実科高等女学校が設立される | |||
栗谷電話所が栗谷郵便取扱書となる | |||
昭和12年 | 1937 | 玖波町地先海面埋立地が字西港内となる | 盧溝橋事件 |
大竹実科高等女学校の校舎が完成する | |||
大竹町で国民精神総動員町民大会が開催される | |||
大竹都市計画区域が指定される | |||
昭和13年 | 1938 | 玖波・小方・大竹・木野・友和の各町村に農地委員会が置かれる | 国家総動員法の公布 |
昭和14年 | 1939 | 小方村・木野村・大竹町が合併打合会を開催する | 広島県下で灯火管制実施 |
各町村に警防団が結成される | ノモンハン事件 | ||
小方商業組合が結成される | 第二次世界大戦 | ||
昭和15年 | 1940 | 部落会と町内会が結成される | 大政翼賛会の発会 |
大竹海兵団の建設が始まる | 大政翼賛会広島県支部の結成 | ||
玖波町役場が火事により焼失する | |||
小方村銃後奉公会が結成される | |||
木野川手漉和紙工業組合が設立される | |||
昭和16年 | 1941 | 大政翼賛会大竹支部が結成される | 佐伯郡満蒙開拓義勇軍の結成 |
大竹海兵団が発足する | 国民学校令の公布 | ||
大竹町に国民職業指導書が設置される | 広島県で米穀の配給制度の実施 | ||
太平洋戦争 | |||
昭和17年 | 1942 | 大竹味噌・醤油配給組合が設立される | 広島県翼賛壮年団の結成 |
栄橋が竣工する | |||
暴風雨により沿岸各地が決壊し、大きな被害を受ける | |||
大竹町役場が新築される | |||
海軍潜水学校大竹分校が本校となる | |||
阿多田島に海底電話ケーブルが敷設される | |||
昭和18年 | 1943 | 大竹町が航空機2機を献納する | 学徒出陣 |
大竹町と栗谷村で国民健康保険組合が発足する | |||
昭和19年 | 1944 | 大竹・玖波・木野・栗谷・友和の各農業会が解散する | 決戦非常措置要綱の決定 |
小方・大竹・玖波・阿多田の各漁業界が解散する | 学徒動員令・女子挺身隊勤労令の施行 | ||
昭和20年 | 1945 | 岩国陸軍燃料廠が空襲される | 広島・長崎に原爆投下 |
各町村で国民義勇隊を編成 | 終戦 | ||
大竹本町郵便局が開設される | |||
暴風雨により恵川が氾濫する | |||
米軍の一個小隊が市域に駐留する | |||
旧潜水学校内に移転した呉海軍病院が国立病院となる | |||
大竹町に引揚援護局が設けられる | |||
引揚第一船の氷川丸が大竹港に入港する | |||
昭和21年 | 1946 | 大竹町青年自治連盟が発足する | 男女平等による総選挙実施 |
三菱レイヨン大竹工場で労働組合が結成される | 日本国憲法の公布 | ||
呉地方復員局掃海部が大竹町に置かれる | |||
昭和22年 | 1947 | 部落会・町内会が廃止される | 学校教育法の施行 |
引揚援護局大竹出張所が閉鎖される | 日本国憲法の施行 | ||
大竹町が上水の給水を開始する | 新警察法の制定 | ||
大竹町に簡易裁判所・区検察庁が置かれる | |||
小方小学校の校舎の大半が火災により焼失する | |||
玖波町役場が新築される | |||
天皇陛下が国立大竹病院と三菱化成大竹工場を巡行される | |||
昭和23年 | 1948 | 大竹町・小方村自治体警察が設置される | |
大竹町立大竹高等学校が設立される | |||
大竹公民館が開設される | |||
旧海兵団内に広島管区警察学校が置かれる | |||
大竹紙業株式会社が設立される | |||
昭和24年 | 1949 | 広島電鉄が広島・大竹間のバスの運行を開始する | ドッジライン設定 |
小方小学校の校舎と講堂が新築される | シャウプ勧告 | ||
大竹・木野中学校が組合立大竹中学校に、玖波・小方中学校が組合立芸南中学校となる | |||
広島県立大竹高等学校の開校式が挙行される | |||
大竹電報電話局が設置される | |||
昭和25年 | 1950 | 大竹町消防署が設置される | 朝鮮戦争 |
玖波公民館が開設される | |||
大竹・坂上・小郷橋間に国鉄バスが運行を開始する | |||
大竹調停協会が発足する | |||
小方村で国民健康保険事業が実施される | |||
昭和26年 | 1951 | 小方町制が施行される | サンフランシスコ講和条約 |
穂仁原小学校と飯谷小学校の統合問題が紛糾する | 日米安全保障条約 | ||
小方町役場が新築される | |||
大竹町と木野村が合併する(大竹町) | |||
大竹町と小方町の自治体警察が廃止される | |||
ルース台風のため市域が甚大な被害を受ける | |||
栗谷村で国民健康保険事業が実施される | |||
昭和27年 | 1952 | 本土と阿多田島間で電気ケーブルの敷設が始まる | |
栗谷青年学校が開設される | |||
組合立芸南中学校が廃止され、玖波中学校と小方中学校となる | |||
町村教委員会が発足する | |||
国立大竹病院の病棟が火災により焼失する | |||
昭和28年 | 1953 | 大竹駅前に大竹有楽劇場が会館する | 朝鮮戦争の休戦協定 |
栗谷公民館が完成する | 町村合併促進法の施行 | ||
大竹町ほか5町村が合併について会合を開く | テレビ放送の開始 | ||
昭和29年 | 1954 | 小方町で合併問題が紛糾する | |
両国橋が完成する | |||
大竹市制が施行される | |||
組合立峯陽中学校松渡分校が玖波中学校松ケ原分校となる | |||
初めての大竹市長選挙が実施される | |||
昭和30年 | 1955 | 大竹市青年連合会が結成される | 第一回原水爆禁止世界大会 |
大竹市婦人連合会が結成される | |||
小方中学校の校舎が完成する | |||
大竹市制施行祝賀行事が実施される | |||
学友丸が進水する | |||
小方青年学級が開設される | |||
初めての市議会議員選挙が実施される | |||
大竹市農業共済組合が設立される | |||
昭和31年 | 1956 | 玖波地区の上水道拡張工事が完了する | 日ソ共同宣言 |
大竹小学校第四校舎と給食室が完成する | 日本の国際連合加盟 | ||
中国電力玖波発電所が竣工する | |||
市庁舎が増築される | |||
昭和32年 | 1957 | 原水爆禁止大竹市協議会が結成される | |
大竹小唄・大竹音頭の発表会が開催される | |||
し尿投棄船(大清丸)が進水する | |||
昭和33年 | 1958 | 国立大竹病院が移転する | 国民健康保険の全市適用 |
三菱ボンネル広島工場が誘致される | |||
松ケ原小学校が移転される | |||
立戸・青木線が着工される | |||
阿多田島地区に青年学級が開設される | |||
日本紙業大竹工場が誘致される | |||
玖波町公民館が完成する | |||
昭和34年 | 1959 | 阿多田島に簡易水道が設置される | 国民年金法の制定 |
玖波小学校の講堂が完成する | |||
大竹町でボーイスカウトが結成される | |||
小方中学校の体育館が完成する | |||
昭和35年 | 1960 | 飯谷小学校の校舎が完成する | 日米安全保障条約の改定 |
栗谷小学校の校舎が完成する | |||
大竹市下水道工事が着工される | |||
大竹町でガールスカウトが結成される | |||
広島電鉄の大竹市内循環バスの運行が開始される | |||
大竹市青少年問題協議会が結成される | |||
松ケ原に養老院(松寿園)が設置される | |||
大竹市交通安全自治会が発足する | |||
玖波小学校の給食室が完成する | |||
明治新開の埋立てが完了する | |||
塵芥焼却場が完成する | |||
昭和36年 | 1961 | 飛石港の新設工事が着工される | |
駐留軍接収地が返還される | |||
広島電鉄が栄町営業所を開設する | |||
大竹公民館が閉鎖される | |||
三井石油化学工業株式会社・三井ポリケミカル株式会社・三井化学工業株式会社・大日本化成株式会社が誘致される | |||
昭和37年 | 1962 | 小方中学校の特別教室が完成する | 山陽線(広島・小郡間)の電化工事が始まる |
穂仁原小学校の給食室が完成する | |||
大竹保育所が完成する | |||
交通安全大竹市民大会が開催される | |||
玖波中学校の体育館が完成する | |||
大竹中学校が完成する | |||
国立大竹病院内に伝染病棟が完成する | |||
栗谷中学校の特別教室が完成する | |||
昭和38年 | 1963 | 栗谷小学校の給食室が完成する | 電話の自動化 |
市庁舎が増築される | 国民健康保険の7割給付の実施 | ||
青少年育成センターが開設される | |||
大竹市民プールが完成する | |||
文化会館が完成する | |||
工業用水道工事が着工される | |||
昭和39年 | 1964 | 小瀬川多目的ダムが完成する | 山陽線(広島・小郡間)の電化 |
東京オリンピックの聖火が大竹市を通過する | 東京オリンピック | ||
市制施行10周年記念行事が開催される | |||
消防庁舎が竣工される | |||
昭和40年 | 1965 | 木野保育所と木野支所の移転工事が完了する | |
大竹市体育館が完成する | |||
昭和41年 | 1966 | 唐船浜団地造成事業が竣工する | |
木野小学校が新築される | |||
し尿処理場が完成する | |||
昭和42年 | 1967 | 三井ポリケミカル大竹工場で爆発事故が発生する | |
立体交差道路の「翠橋」が完成する | |||
昭和43年 | 1968 | 全国高校総合体育大会が開催され大竹市は相撲の会場となる | 小笠原諸島が日本に復帰 |
ごみ焼却場が完成する | |||
南小島中央線ガード拡張工事が完成する | |||
昭和44年 | 1969 | ダイセル大竹工場で爆発事故による火災が発生する | 東名高速道路の開通 |
昭和45年 | 1970 | 大竹臨港(港町)土地造成工事が完成する | 日本万国博覧会(大阪万博) |
飯谷小学校が閉校し、穂仁原小学校飯谷分校が開校される | |||
ダイセル大竹工場で爆発事故による火災が発生する | |||
湯舟団地造成事業が完成する | |||
下水道終末処理場(簡易処理)が完成する | |||
昭和46年 | 1971 | 上水道大竹配水池建設工事が着手される | 変動為替相場制に移行 |
栗谷小学校谷尻分校と広原分校が閉校となる | |||
憩いの森が完成する | |||
阿多田島小学校の校舎が完成する | |||
大竹商工会議所ビルが完成する | |||
昭和47年 | 1972 | 公害監視センターが完成する | 札幌オリンピック |
三興化学工業で火災が発生する | 沖縄返還 | ||
大気汚染テレメーターが完成する | 日中国交回復 | ||
都市計画街路青木立戸線が開通し、カラー噴水の通水式が挙行される | |||
市営住宅白石団地建替事業が着手される | |||
昭和48年 | 1973 | 新幹線大竹トンネルが完成する | |
大竹小学校の防音改築事業が着手される | |||
なかはま保育所が新設される | |||
下水道終末処理広域処理が開始される | |||
昭和49年 | 1974 | 大竹市農協成果物卸売市場が完成する | |
大竹駅舎が完成する | |||
本町保育所が完成する | |||
市制施行20周年記念事業が開催される | |||
二階堂哲朗市長が死去し、市葬が行われる | |||
玖波公民館が完成する | |||
昭和50年 | 1975 | 山陽新幹線 岡山・博多間の開通 | |
昭和51年 | 1976 | 小方小学校の校舎が完成する | |
大竹立戸山テレビ中継局が完成する | |||
昭和52年 | 1977 | 小方中学校の校舎が完成する | |
松ケ原公民館が完成する | |||
初めての自治会長会議が開催される | |||
大竹警察署の新庁舎が完成する | |||
中津井真氏が名誉市民に選定される | |||
昭和53年 | 1978 | 栗谷中学校の校舎が完成する | 日中平和友好条約 |
玖波小学校の校舎が完成する | |||
玖波西港内団地建替事業が着手される | |||
昭和54年 | 1979 | 立戸保育所が完成する | |
昭和55年 | 1980 | 市庁舎が完成する | |
総合体育館が完成する | |||
昭和56年 | 1981 | 総合市民会館・農林振興センター・栄公民館が完成する | |
栗谷小学校谷和分校が閉校となる | |||
第一回市民まつりが開催される | |||
阿多田島海底送水管敷設事業が完成する | |||
昭和57年 | 1982 | 小方沖海面埋立事業が起工される | |
小方公民館・勤労者体育センターが完成する | |||
玖波中学校と穂仁原小学校の校舎が完成する | |||
昭和58年 | 1983 | 栗谷小学校の校舎が完成する | |
大竹港臨海部土地造成工事(第1期)が完成する | |||
昭和59年 | 1984 | 阿多田島漁村センターが完成する | |
市制施行30周年記念事業が開催される | |||
弥栄ダム定礎式が開催される | |||
大竹会館(旧文化会館)が改装される | |||
小方港(小万理港)が晴海二丁目に移転される | |||
市営住宅御園団地建替工事が着工される | |||
昭和60年 | 1985 | 大竹保育所改築工事が完成する | |
戸田工業株式会社が操業開始する | |||
阿多田島・小方間のフェリーが就航される | |||
穂仁原小学校飯谷分校が閉校となる | |||
大竹港臨海部土地造成工事(第2期)が完成する | |||
御園ハイツ宅地の分譲が開始される | |||
昭和61年 | 1986 | 小方ポンプ場の新設工事が完成する | |
大竹下水処理場管理棟新築工事が完成する | |||
栗谷児童館が完成する | |||
松ケ原小学校移転改築工事が完成する | |||
三井東圧化学株式会社が大竹市から撤退する | |||
斎場の供用が開始される | |||
昭和62年 | 1987 | 弥栄大橋が開通される | JR発足 |
ごみ焼却場が完成する | |||
小方中学校の屋内運動場が完成する | |||
小方ポンプ場が完成する | |||
大竹港臨海部土地造成事業埋立地更地が竣工される | |||
昭和63年 | 1988 | 広島岩国道路・山陽自動車道(大竹・岩国間)が開通される | |
自然の家やさかが完成する | |||
黒川墓苑造成工事が完成する | |||
昭和64年 | 1989 | 弥栄ダム本体工事が完成する | 消費税3% |
大竹港臨海部土地造成事業埋立地宅地整備工事が完成する | |||
市立図書館が開館する | |||
三倉岳休憩所(ログハウス)が完成する | |||
石本美由起氏が名誉市民に選定される | |||
平成 2年 | 1990 | 大竹会館講堂(アゼリアホール)が完成する | |
学校法人ルネス学園大竹総合科学専門学校が開校される | |||
養護老人ホームゆうあいの里が完成する | |||
阿多田小学校の屋内運動場が完成する | |||
広島岩国道路(大竹・岩国間)が開通される | |||
平成 3年 | 1991 | 弥栄ダムが完成する | 湾岸戦争 |
玖波・青木線と恵川大橋が完成する | |||
木野小学校の屋内運動場が完成する | |||
大竹中学校の屋内運動場が完成する | |||
平成 4年 | 1992 | 玖波七丁目地内宅地造成工事が完成する | |
平成 5年 | 1993 | 特別養護老人ホーム「ゆうあいホーム」が完成する | |
阿多田児童館が完成する | |||
平成 6年 | 1994 | 松ケ原児童館が完成する | |
中市堰が完成する | |||
栗谷中学校の屋内運動場が完成する | |||
大竹市総合福祉センター「サントピア」が完成する | |||
水道局庁舎が完成する | |||
コミュニティサロン元町が完成する | |||
立戸墓苑が完成する | |||
市制施行40周年記念式典が開催される | |||
第12回アジア競技大会広島1994が開催される | |||
広島法務局大竹出張所・大竹区検察庁新庁舎が完成する | |||
平成 7年 | 1995 | 大竹小学校の屋内運動場が完成する | 阪神・淡路大震災 |
休日診療所が開所される | |||
平成 8年 | 1996 | 大竹市消防庁舎新築工事が完成する | |
海の家阿多田が完成する | |||
コミュニティサロン栄町が完成する | |||
漁業集落(阿多田地区)排水処理施設が完成する | |||
弥栄オートキャンプ場が完成する | |||
第51回国民体育大会が開催される | |||
第32回全国身体障害者スポーツ大会「おりづる大会ひろしま」が開催される | |||
阿多田島灯台資料館の吏員退息所・物置・油庫が国登録有形文化財に登録される | |||
平成 9年 | 1997 | 大竹市医師会立訪問看護ステーションが開設される | 消費税5% |
栗谷診療所が新築・移転される | |||
玖島川親水公園が完成する | |||
コミュニティサロン玖波が完成する | |||
大和橋が改築される | |||
平成10年 | 1998 | 農業集落(栗谷地区)排水処理施設が完成する | 長野オリンピック |
松ケ原地区に上水道が通水する | |||
大竹市地域防災無線システムが完成する | |||
平成11年 | 1999 | 阿多田診療所が開所される | |
油見トンネルが開通する | |||
平成12年 | 2000 | マロンの里交流館が完成する | |
平成13年 | 2001 | 芸予地震 | |
平成14年 | 2002 | ワールドカップ 日韓大会 | |
平成15年 | 2003 | 夢エネルギーセンター(ごみ固形燃料施設)が完成する | |
子育て支援センター・こども相談室が開館する | |||
安条トンネルが開通する | |||
大竹港東栄地区岸壁(-5.5m)が供用開始される | |||
平成16年 | 2004 | 市道中市立戸線が開通する | |
松ケ原こども館が開館する | |||
市制施行50周年記念式典が開催される | |||
平成17年 | 2005 | 大竹中学校の校舎改築が完成する | |
平成18年 | 2006 | 大竹港東栄地区岸壁(-11m)が供用開始される | |
平成19年 | 2007 | 大竹港国際コンテナ定期航路が開設される | |
平成20年 | 2008 | 松ケ原小学校が閉校となる | |
学校法人ルネス学園大竹総合科学専門学校が閉校となる | |||
平成21年 | 2009 | ||
平成22年 | 2010 | 松ケ原集会所が完成する | |
防災行政無線の運用が開始される | |||
地域情報通信基盤整備工事(ケーブルテレビ)が完成する | |||
平成23年 | 2011 | 大竹小学校の校舎改築が完成する | 東日本大震災・福島第一原子力発電所事故 |
木野小学校が閉校となる | |||
さかえ子育て支援センターが開設される | |||
平成24年 | 2012 | こいこいバスが本格運行となる | |
大願寺地区造成地の町名が小方ケ丘となる | |||
平成25年 | 2013 | 小方小学校・小方中学校(小方学園)の移転改築が完成する | |
大竹市給食センターが完成する | |||
阿多田小学校と穂仁原小学校が閉校となる | |||
平成26年 | 2014 | 木野集会所が完成する | 消費税8% |