埋め立ての歴史

大竹市域は、山と海が非常に近く、平地が少ない地形であったために、近世から現代にかけて非常に大規模に海面を埋め立て、用地を造成してきた歴史があります。

昔から人々は少しでも収穫を増やすために、荒地・河原を整地し、山裾を開墾していましたが、江戸時代になると、藩(領主)は自らの財政強化のために積極的に新田の開発に力を注ぎ、大竹市域でも町人や豪農の協力を得ながら大規模な新田開発が行われるようになりました。
現代(戦後)においても、宅地や工業用地の必要から、大規模な埋立事業が実施されています。
現在では、大竹市域の沿岸部はほとんど埋立地で、住宅地や商業施設、工場など、主要な施設が立地しています。

埋め立てには非常に大きな苦労がありましたが、現在の大竹市の暮らしにも、過去の苦労の恩恵を受けていることを忘れてはいけません。

埋立地図

 

No.名称時期面積備考
1青木新開慶長(1600年)の頃39,600㎡
2古新開(黒川)貞享4年(1662年)高付1,535㎡ 場所不明
3城山廻り新開寛文2年(1662年)高付9,207㎡
4立戸新開元禄14年(1701年)築調42,679㎡
5沖新開享和3年(1803年)築調
6郷水新開享和4年(1804年)築調
7油見新開文化3年(1806年)築調105,000㎡ 場所不明
8中新開文化3年(1806年)頃築調264,330㎡
10中浜幷猿木屋新開文化5年(1808年)高付7,524㎡
11立戸新開文政元年(1818年)築調99,000㎡ 塩田後に開作地
12惣十郎新開文政元年(1818年)築調69,102㎡
13小島新開天保3年(1832年)築調970,000㎡
14増側新開嘉永4年(1851年)高付1,683㎡
15三ツ石立戸新開嘉永4年(1851年)高付21,384㎡ 場所不明
16新町沖新開嘉永5年(1852年)築調149,648㎡
17上ノ町沖新地埋立文久3年(1863年)埋立3,340㎡ 宅地
18妙見沖台場文久3年(1863年)築調2,195㎡ 妙見山の東干潟に台場を築造
19烏帽子新開明治元年(1868年)築調693,000㎡
20明治新開 (中浜沖新開)明治元年(1868年)築調198,000㎡ 明治7年決壊
21上河内埋立大正3年(1914年)埋立350㎡ カキ殻置場
22玖波公有水面埋立大正6年(1917年)着手7,0448㎡ 昭和12年竣工
23上河内埋立昭和3年(1928年)埋立314㎡ カキ殻置場
24中河内埋立昭和4年(1929年)埋立2,244㎡
25小万里埋立(新地沖)昭和4年(1929年)埋立1,775㎡
26明治新開昭和8年(1933年)埋立19,127㎡
27新町川河口埋立昭和19年(1944年)着手44,550㎡ 戦局悪化の為中止
28港町埋立昭和45年(1970年)竣工146,395㎡
29晴海埋立昭和62年(1987年)竣工
30東栄埋立平成18年(2006年)竣工493,000㎡ 大竹港東栄地区港湾整備事業