立戸の東方、700m沖の海中に小さな島がありました。
「国郡誌」には次のように記載されています。
小方村 丸小山 周囲45間 陸より三丁
油見村 小 島 周囲42間 本村新新開堤鼻より三丁沖に有り
大竹村 小 島 周囲28間 当村の潟に有り草木少々生へたり
島自体には価値はなくても、その周囲は磯で、村人の大切な漁場となっていました。そのため、各村は自分の島だと一様に言い張り、磯の権益を主張していました。
郷邑記には、「立戸・油見・大竹磯にあなご多し、油見あなご名物とす」とあります。
天保12年(1841年)、藩経営による島名に因んだ小島新開を開き、この小島は土手の一部になり、小島新開村の所有地となります。
油見村は海を失うことになりましたが、紛争にはなりませんでした。
この小島は、現在は「丸小山」と呼ばれ、大竹市内で一番小さな低い山となっています。