1村2社の氏神様を持つのは、大竹市内では木野地区だけで、近郊でも珍しい地区です。
また、一般的に神社の「本殿」は正面からは見えませんが、この厳島神社は、「本殿」・「幣殿」・「拝殿」を横から全部見ることができます。
境内には摂末社として、次の6つの神様をお祀りしています。
・天満宮(菅原道真を祀った学問の神様)
・恵比須神社(七福神の一つで、海上・漁業・商売繁盛)
・祇園社(疫病などを除いてくれる神様)
・稲荷神社(五穀豊穣の神様で・倉稲魂「うかのみかたの神」)
・金毘羅神社(薬師如来の十二神将の一人金毘羅大将、また金毘羅童子といわれ、健康であることを守ってくれる神様
・人丸神社(柿本人麻呂・文芸「歌人」の神様)
忠魂碑
明治半ばより、神社の境内などに、国威宣揚をかかげて、忠魂碑・慰霊碑などが各地で建立されるようになりました。
木野一丁目の中津原地区では、昭和7年(1932年)に氏神社である厳島神社境内に、村民の義援金により忠魂碑の造営に着手しました。
しかし、厳島神社の改築、翌年には木野小学校の増築などで、若干の遅れがあり、明治9年(1934年)に完成しました。
この忠魂碑は、市域の中で最も規模の大きいものです。
昭和56年10月、碑の台座正面に設置された板碑には、厳島神社氏子総代会名で、明治からの戦争による戦没者の氏名が刻まれています。
所在地 | 大竹市木野一丁目(厳島神社境内内) | ||
建立年 | 明治9年(1934年) | 石の種類 | 花崗岩 |
高さ | 650cm | 横幅 | 18cm |
表記文字 | 忠 魂 碑 海軍大将 小林 躋造 謹書 |
秋のお祭り
昭和の始め頃、10月9日が木野一丁目の中津原地区の秋のお祭りで、翌日が木野小学校の運動会と決まっていました。
中津原地区の人は運動会の食事は昨日のお祭りのご馳走を持って行けばよいのですが、木野二丁目の上木野のお祭りは10月14日でご馳走を2度作らなくてはならず、地区の人たちは困っていました。思い切って中津原組と話し合い、9日に双方でそれぞれお祭りをして、上木野地区も2度のご馳走を作らなくてすむようになったということです。
お神輿のご難
木野一丁目の中津原地区では、昭和11年(1936年)頃まで、秋のお祭りには、神輿や奴、山車2台などが出て、賑いを見せていました。
太平洋戦争終結後は、鉄・真鍮、そして銅などが高く取引された頃で、境内の格納庫に納めていた「お神輿」の飾りである金属を剥ぎ取り、丸裸にされるという災難に合いました。なんと格納庫の後ろから穴を掘って中に入って盗まれたと言われています。
その後、現在までお神輿はお飾りされることなく、そのままになっています。