栖雲院の釣鐘

玖波の善導寺山の頂上付近に「寺屋敷」と呼ばれる平地があり、中世ここに「栖雲院」という禅宗寺があったといわれ、現在も井戸の跡が残っています。

永禄12年(1569年)、毛利元就は長男の隆元を毒殺したとの嫌疑により、厳島神社の社頭で和知誠春・湯本元家を殺します。
厳島大願寺の住職らは、真春・元家の菩提を弔うために、遺刀を手放すなどして浄財を集め、天正7年(1579年)に九州別府の寺から銅鐘を購入し、栖雲院に寄進しました。

時は流れて、栖雲院は廃れてしまったのか、鐘は陣鐘として甲山の城主である宍戸氏の手に渡り、その後に甲田町(現在の安芸高田市)の高林坊へ寄進され、現在に至っています。
高さ1mのこの銅鐘は、永徳3年(1383年)に鋳造され、そのときの銘文に加え、栖雲院に寄進されたいきさつが刻字されており、貴重な歴史をあらわすものとして、広島県重要文化財に指定されています。

なお、玖波六丁目の誓立寺が、かつての栖雲院の流れを汲む寺院だといわれます。