中国山地の石仏の中で一番多いのが「馬頭観音」だと言われています。
馬頭観音は、元々ヒンズー教の神様ビシュヌ神で、馬頭に化身して敵を倒したという神話からきたもので、頭のうえに馬頭をいただく異様な観音像で、菩薩ながら憤怒の表情が特徴です。
自動車のない時代では、馬が運搬の主力でした。
その安全を祈願したり、馬の霊を供養するために馬頭観音が祭られるようになりました。
大竹市内では、玖波谷道の二か所に祭ってあります。
玖波谷道は、古くからの生活道で、栗谷や佐伯町(現廿日市市佐伯町)あたりから松ケ原を経て、玖波の宿場町へと結ぶ道でした。
炭や木材、農産物を玖波港へ運ぶ馬車が多いときには十数台も連なって通っていました。
一か所目は、昔の松ケ原の村の入口にあり、明治の中頃に祭られたものです。かつてはこの馬頭観音は非常に人気があり、結婚式には縁起担ぎに花嫁さんの腰がしっかり据わるようにと栗谷や玖島、吉和の方まで運ばれていました。
二か所目は、新幹線の陸橋の下にあります。昔はもう少し上手の発電所の入口あたりに祭られており、そばの岩穴から湧き出る清水がおいしくて、木陰で馬も人も一息入れていました。