この神社は、立戸地区の最も高いところにあり、かつて江戸時代には「黄幡社」と呼ばれていました。
主神として土の神の埴安彦神(はにやすひこのかみ)を祀っていましたが、明治元年、神仏分離令・廃仏毀釈などにより、信仰の形も変わっていく中で、立戸の村人たちは「真幡神社」に改名したと言われています。
古事記には、「埴安彦神」は、「イザナミ」が火の神「カグツチ」を生み、火傷をして病に伏していたとき、その大便から生まれたとあり、明治になり、汚らしい神と考えられるようになったようです。
現在は、相殿神として、宗像三女神(市杵嶋姫命・田心姫命・多岐津姫命)と摂末社(=豊秋社)の大己貴神(おおなむちのかみ)、疫神社の須佐鳴神(すさのおのかみ)、秋葉社の可遇土神(かぐつちのかみ)が祀られています。