天明6年(1786年)8月下旬、大風水害により田畑は流失し、さらに翌年、翌々年にも引き続き同じ被害にあいました。
ところが、不思議なことにこの「白い大きな石」の座っている周辺だけは被害が少なかったそうです。
そこで、寛政元年(1789年)8月24日、ここに祠を建て、守護神としてこの白い石を祀ることにしました。
明治31年(1898年)、悪疫が流行し、多くの村人が難渋するが、この地区の住民には被害はありませんでした。
大正から昭和20年代までは、紙漉で痛めた霜焼けやあかぎれの手をした、女性の姿があったと言われています。