中川保太郎は、万延元年(1860年)に大竹村に生まれました。
幼くして武道を好み、早くから清水長蔵に師事し、近代に入って市域で武道が盛んになる中で、難波一甫流を会得しました。
しかし、後にこの武人だけは広島に出て、山中権八郎の門下生となり、練磨研鑽司箭流の蘊奥(うんのう)を極め、免許皆伝となり、大竹に戻って道場を開き、門人数百人に達したと言われています。
しかし、その後司箭流を継ぐ者はなく、難波一甫流が主流となりました。
記念碑の碑文からは、柔道家中川保太郎の人となり、温厚実直で素晴らしい指導者であったことが読み取ることができます。