所在地 | 大竹市白石一丁目(大瀧神社境内) | ||
建立年 | 昭和5年(1930年) | 石の種類 | 花崗岩 |
高さ | 245cm | 横幅 | 119cm |
側面幅 | 48cm | 台座側面幅 | 123cm |
台座高さ | 69cm | 台座横幅 | 201cm |
表記文字(表) | 塩田冨太郎先生之碑 正三位勲二等 子爵 前田利定 書 |
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表記文字(裏) | 塩田冨太郎先生は幼時より學を好み明治拾年拾貳月大竹小學校を卒業して以来自學自習に勉め夙に育英の業に志し同拾八年参月大竹小學校授業生を命ぜられ教授の餘暇を以て學修し本科及音楽専科正教員の検定試験に合格して訓導となり教鞭を執ること爾来四十ヶ年其間佐伯郡菅澤油見栗谷の三校に於て訓導又は學校長たりしこと僅かに四年あるのみその殆どは我大竹尋常高等小學校に奉職し大正九年拾月大竹東尋常小學校新設せらるるや之に轉任し同拾参年参月を以て愈々教育界を去らる 思ふに先生は一生の大半を教育の任に捧げられ不撓不屈終始一貫職務に盡瘁し子弟に對しては溢るる熱情と懇切なる指導とを賜はり吾等は恰かも慈父の如き感を持ち其薫陶を享けしもの前後實に大竹町民の半を超ゆ今や子弟中には博士及学士の號を得たるものも拾数名に及ぶ尚夫々實社会に立ちて各活躍進展試みつつあるは偏に師の賜と謂ふべし 茲に昭和新帝の御大禮を行はせらるるの秋に當り吾々同窓生発起し長く師の徳を景仰し聊か報恩感謝の誠意を表はし一は郷土風教の資に供して先生謝恩碑を建設す 昭和五年十月一日 大瀧神社社掌 所 義 彦 謹書
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