江戸時代までは、どこの神社も「○○神社」とは言わず、「大森大権現」とか、「大明神」という名称で呼ばれ、大森神社は「おおもりさん」と呼ばれ親しまれていました。
祭神は、天穂日命(あまのほひのみこと)で、現在の秋の例祭は10月第三日曜日(旧祭は10月19日)でした。
創始はわかりませんが、芸藩通志によれば、往古湯見村の中ほどにあったものを正保3年(1646年)に現在地に遷し、旧地には小詞を残して「古森社」と称し、田心姫命を祭ったと言われています。
現在地に遷された社殿は、享保3年(1718年)、安永4年(1775年)に再建しており、明治22年にも火災があり、江戸時代から3回の再建が行われています。
また、昔から御壺と呼ばれるつぼ型の入物を使って、翌年の作物の状況を占う神事があります。
壺に清水を入れて境内の小高い土中に埋め、石の蓋で覆い、三方へ御幣を立て、四方に注連縄を張って、毎年秋の例祭の日にこれを開け、中に水が多いときは豊作、少ないときは干ばつになるというものです。
この壺は素蓋鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇を退治したときの八つの酒壺の一つと伝えられています。
油見の地名の由来は定かではありませんが、一説には、この大森神社の右手に、国郡誌に掲載されている「麓池」があり、そこから油が浮き出ていたので「油見」というようになったそうです。
また、一説には、立戸との境の竹やぶから油が出たので呼ばれるようになったとも言われています。