明治時代、大竹には多くの武道に秀でた人がいました。
柔術の清水長蔵や中川保太郎、棒術の朝池槌五郎など、村にはいくつもの道場があったと言われています。
どこの道場かはわかりませんが、門人の一人が道場の前を掃いていると、背後から「もしもし、私は広島からはせ参じた者であるが、先生とお手合わせをいたしたい。ご在宅であろうか、お目通りを願いたい」と、浪人風の男が訪ねてきました。
門人が「あいにく先生は広島に行かれて留守をしております」と言うと、浪人風の男は「ここまで来て会えぬとは」と、悔しかったのか門の側に立てかけていた一寸角(1辺約3m)の鉄の棒をギリギリと飴のようにねじったといいます。
門人はすかさず「お客さん、それをねじてもろうちゃぁ困ります」と言って、元通りにねじり戻し、何事もなかった顔をしていました。
男はそれを見て、門を掃く門人がこれでは、先生は想像を絶するものがあると、無言でどこかに立ち去ったそうです。