浅野長晟 広島入城400年「歴 史講演会 」

元和5年(1619年)福島正則改易後、浅野長晟広島城城して今年で400になります。

大竹市歴史研究会では、大竹市教育委員会との共同事業として、歴史地理学研究家 佐々木卓也」先生を招聘し、歴史講演会を開催します。

幕末維新の騒乱期については、市域では長州側の視点で学習・歴史認識が多いのではないでしょうか?今回は、幕府方特に浅野家が日本の近代果たした役割などについて、講演していただきます。お気軽にご来場ください

開催日  7月6日() 1250開場

講演時間 1330~3時30

講師 佐々木 卓也

テーマ 広島藩政と佐伯郡域

入場無料

懐かしい写真「会社橋」

写真を整理していたら懐かしい写真が出てきました。
この写真にある橋は、「会社橋」と呼ばれ、大竹市が工業都市となっていく歴史が秘められています。

大竹市域では中世後期から、小瀬川水系を中心に手すき和紙が盛んに行われていましが、明治に入り、機械化による西洋紙の生産が行われるようになり、伝統的な手漉き和紙は徐々に衰退し、昭和30年代初頭にはほぼ小瀬川流域から姿を消してしまいました。
明治39年5月「芸防抄紙(株)」が和木村瀬田に建設されました。その後、芸防抄紙(株)は合併を重ね、大正15年に「日本紙業(株)芸防工場」となり、市域からも多くの人が小瀬川を渡って通勤するようになりました。はっきりとした時期は分かりませんが、大正後期から昭和初頭にかけて芸防工場が従業員のために現在の元町二丁目と和木町瀬田の間に自ら架けたのが写真の橋です。この木橋は、正式名称は「潜水橋」ですが、大竹市域では「会社橋」と呼ばれていました。「沈下橋」でありながら一工夫された木橋で、小瀬川が洪水となった時も、ひ弱に見えるこの木橋は幾度となく耐え、従業者の通行を支えました。
川の長さは約100mに達していましたが、橋の幅員は1m余りであったと記憶しています。幾つもの木製の橋脚の上に約1mの横板を並べているものが、洪水時に水面が橋を超えると中央で橋に括りつけられたワイヤーが左右の岸に流れ着く仕組みになっていました。そして、流れが正常になると橋を管理する人たちによって橋脚に橋板の部分を載せるという、当時としては大変合理的な仕組みで、コンクリートによる沈下橋以前に考えられたものかと思います。
日本紙業芸防工場が大竹工場に平成5~6年に大竹工場に移転されましたが、芸防工場はそのままの姿で現在も残されています。昭和の終わりには木橋も役割を終え、この1枚の写真は今も当時の人々の懐かしい思い出となっていることでしょう。

歴史的に繋がりのある「尾道研修」

大竹市歴史研究会では、3月6日(水)に平成30年度3回目の市域外活動として「尾道研修」を行いました。

朝から雨雲が東に向かう中、尾道の浄土寺に午前10時頃参拝、多くの国宝建造物、貴重な仏像など拝観させていただきました。
続いて山麓を西に108段の石段を登り詰めたところに、2mの大草鞋を掲げた山門に圧倒されながら、今回の研修テーマでもある大竹村との大相撲で深い繋がりのある高さ3mを超す「注連柱」が迎えてくれました。

この注連柱は、江戸後期の相撲取りである陣幕久五郎が建立したものです。
後の陣幕久五郎は、大坂場所を目指して嘉永元年(1848年)、出雲の国八束村松江市)から尾道に出て「初潮久五郎」の弟子となり、土地相撲に入りました。

左=初潮久五郎 右=大蔦力蔵

その後、師匠の娘と結婚して大阪を目指し、師匠初汐久五郎の知人であった大竹村出身の大坂相撲会所の小結「大蔦力蔵」に可愛がられ、江戸本場所行きを進められ、第九代横綱「秀の山雷五郎」の部屋を紹介され、江戸での活躍が始まります。
そして慶応元年(1865年)、37歳で相撲の頂点である第12代横綱に輝きました。
尾道の真言宗西国寺に本堂に向かって、亡き二人の師匠である「初潮久五郎」を右に、「大蔦力蔵」を左に大きく豪快な四股名を彫り,自らの名を伏せて建立している陣幕久五郎の心意気を感じました。

その後、古寺巡りをしながら激しく降りしきる雨の中「千光寺」より尾道水道を見ながら下山し、尾道の途轍もない古き歴史と多くの文化財を拝観して帰路につきました。

現在、大蔦力蔵の墓と常夜燈は大竹市内の寺社にそれぞれ歴史を伝えています。

「西国街道 ウォッチ」真剣に聞き入る参加者

市教育委員会生涯学習課が11月25日(土)に開催した「歴史探訪」に20名の参加があり、歴史研究会もガイドとして参加しました。

秋空に恵まれ午前10時スタート。
古くから小瀬川の歴史に残る「木野川の渡し」に思いをはせ、厳島伝説の「榺池神社」、「苦の坂峠の古戦場」、「亀居城跡」などの貴重な歴史的遺跡を巡り、江戸期の宿場風情の残る「玖波の町並み」をゴールに、約8キロを笑顔一杯元気で踏破して午後4時に終了しました。

明治150年記念「歴史講演会」

1124(土)、大竹市総合市民会館にて、本年度度目となる明治150年記念事業として、小説家「穂高健一」先生による「歴史講演会」を開催しました。

「知られざる幕末と維新 芸州広島藩の活躍」と題して、幕府軍万に及ぶ軍勢が城下に集結したときの広島藩の動向について詳しく講演をいただきました。

200名に及ぶ参加者があり、幕長の役芸州口の戦いの全容を学習しました。

明治150年記念特別講演会

大竹市歴史研究会では、昨年に引き続き市教委との共催事業として、3か月(678月)連続で講演会を行いました。
おかげさまで300名を超える参加者があり、大盛況に終えることができました。

こうした講演会事業を開催する中で、私たちは、明治維新の学習において、長州側から見た歴史に強い関心を持っていましたが、幕府側広島藩) から見た歴史についてはあまり学習していないことに気づきました。
そこで、この度「芸州口の戦いと大政奉還への内幕」と題して、広島藩の果たした役割について、穂高健一先生にご講演いただくことになりました。

今年最後の講演会として、多くの皆さんの参加をお待ちしています。

 講 師:穂高健一先生 (小説家・写真家・山岳会・文芸家協会の各会員)

 開催日:1124(日) 1330~1600

 会 場:大竹市総合市民会館 2階ホール 入場無料

玖波小学校の総合学習授業

平成12年度から7回目となる玖波小学校6年生の総合学習を115日から3日間の日程で行いました。

1日目は、「西国街道大竹路」のスライドを上映し、鳴川の石畳」から玖波の町並みそして「亀居城跡」の歴史を詳しく説明して、「苦の坂古戦場」「木野川の渡し」まで2時限、90分、児童の元気な質疑に答えながら説明しました。

2日目は、玖波小学校学校区内の「玖波の町並み」を探訪しました。称名寺にお参りし、前住職さんの温かい説明を聞き大竹市指定重要文化財の「喚鐘」を見て、最後は大歳神社の貴重な「力量石」や神生石などの説明を受け、児童たちは真剣な眼差しで聞き記録し、その学ぶ姿勢にとても感銘しました。


3日目は、児童歴史方法りたいと、「大竹市歴史研究会」を発足した理由と学習過程その成果の積み重ねについてお話をし、過ぎ去った歴史を参考になればと話し合い、3日間の総合学習を終えました。

市域外研修のお知らせ

大竹市歴史研究会では、市域内の歴史研究や屋外研修以外に、市域外研修を年3~回実施しています。

去る7月18日には、幕末動乱期「禁門の変」の責任を取った「福原越後之碑」に続き、岩国藩の城内遺跡などを歴史ガイドの案内で学習しました。
また、中世の吉川候の菩提寺「萬徳院」を江戸期に入り岩国の城下に移された「萬徳院」を参拝のし、住職さんの歴史を拝聴するなど貴重なまた、研修となりました。

そして、11月21日(水)には、これまで学習する機会が少ながかった防府市を研修します。
現在24名の参加者があり「防府天満宮」、「種田山頭火生誕の地」、、「周防国分寺」などを訪ね、歴史ボランティアのご案内を受けながら多くの貴重な文化財を見学させていただき、歴史・文化財についても学習できることを楽しみにしています。

来春には「尾道市」を歴史学習と観光としても訪れる予定にしています。

小方小学校の総合学習授業「ふるさと大竹に感謝」

大竹市歴史研究会では、10月5日(木)、大竹市立小方小学校6年生総合的学習の時間の中で「ふるさと大竹に感謝」と題して、小方小学校区内の歴史についてスライドで紹介しました。

「亀居城跡の歴史」をはじめ、かつて6島を有し漁場を広げた小方村の人たち、中世末期から約450年の歴史を今に伝える「おおたけ手漉き和紙保存会」の伝統を守り続ける小瀬川沿いの人たちなど、大竹市を支え発展させた歴史を48コマのスライドを紹介しました。

真剣に記録する児童67名に感動させられながら、2時限の貴重な時間を共有できました。

市内歴史案内「西国街道大竹路と長州の役大竹口の戦跡」

925日(火)、日本産業退職者協会広島支部の会員による「歴史探訪会」の皆さん50名が、「西国街道大竹路を訪ねて」を研修テーマとして大竹市に来られます。

ご案内するコースは、西国街道玖波宿小方の町並み福島正則築城「亀居城跡」~長州戦争古戦場跡の史跡を予定しています。

バス台参加者50名をご案内するのは初めてのことで、歴史研究会上げて歓迎してまいります。