「お知らせ」カテゴリーアーカイブ

近くて遠い島 「阿多田島」歴史探訪

午前10:10に阿多田島漁港の桟橋に着きました。
現在、阿多田島漁港は本浦全域が近代化された漁港として活況をおびています。
また隣接する猪子島へは強固な橋が架かりイリコ加工工場や養殖場などの拠点となっています。港の西側にあり「橋」であると共に地元では台風などによる災害防止の「堤防」ともいわれ両方を兼ね備えています。

桟橋に着くと、近代漁港ができる前の港の「波除け石垣」が残り、阿多田島の歴史を辿るうえで貴重な文化財の一つに接することが出来ます。

最初に訪れたのが「阿多田嶋神社」です。この島の歴史を語りかけてくれる石造物や絵馬そして金属の燈籠など貴重な文化財が島の人たちによって大切に保護されています。
また西に向かって周回道路を15分ほど登っていくと、左側に「観音堂」への参道に差し掛かります。観音山(海抜94m)にある観音堂へはそこからまた約15分で着きます。長崎県北部平戸の沖で玖波村の与右衛門という人が網に掛った観音さんを持ち帰り祀ったといわれています。約350年前から地元の人たちにより手厚く信仰されています。毎年4月3日と定め地区総出でお参りするといわれます。

続いて、演福寺を見て回りました。
「郷邑記・小方村(1806年)」には、天保2年(1835年)の記録に「阿多田島者本来当寺(立安寺)の檀家也し役僧同島に寺を建て檀家当寺に離壇す」とあり、「浄土真宗本願寺派演福寺」を建立たといわれます。特長ある寺院建築を拝観することが出来ます。

それから、灯台資料館に行きました。
明治36年(1903年)瀬戸内海の海上交通の発展のために建立されたといわれる「白石灯台と吏員退卽所・油倉庫」など煉瓦造りで立てられ、昭和30年代に入り施設使用が終わり、現在では国の登録有形文化財(1996年)に指定され、市民保養地「海の家あたた」と共に「阿多田島灯台資料館」は地区の人たちによって運営され、灯台の歴史などを説明いただき学ぶことが出来ます。

本浦地区は独特の傾斜に家々が立ち並び、市域では見られない石垣に特長があります。豪快に積み上げた「野面積み」「打ち込みはぎ」「切り込みハギ」という日本独自の石組技法を学習することが出来ます。

また、海上では、カキの養殖筏が海に広がり、加えて養殖筏や釣堀筏もあり、地域産業の一翼を担っている息吹を感じます。

この夏一番の猛暑の中、5時間に及ぶ島の歴史や文化財を学習し、午後15:50分に阿多田島を離れ小方港へ上陸無事研修会を終えました。

 
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「山代の国(岩国市美和町・本郷町)」の歴史

3月2日(水)、大竹市歴史研究会の今年最初の研修として、岩国市美和町に「山代の国の歴史研修」に行ってきました。
21名が参加し、多くの文化財に触れることができ、とても楽しい一日でした。

江戸後期、岩国藩主の吉川経幹は、窮乏にあえぐ坂上組(さかうえぐみ)の改革のため坂上村渋前に「撫育(ぶいく)役場」を東林寺に設置し、玉木東平(後の大審院長)を任命して地域の更生を図りました。
撫育役場は後に長州の役の前線基地となり、玉野東平は坂上組内を奔走して岩国領と長州本藩の境を分かち合いながらも、芸州口に対する北の門を守り抜きました。
また、浄土真宗真教寺境内には、芥川龍之介が錦帯橋に来て父の里を指して「本是山中人(もとこれさんちゅうのひと)」と書いた一文を「父子の碑」として地区の人々によって建立されています。
その他にも大切にされている「盃状穴」など多くの文化財を見学し、歴史の足音が聞こえてくる美和町のまちを探訪することができました。

それからトンネルを抜け、山代街道の中継地点として栄えた「本郷町」に入りました。かつては村でありながら「警察署」が置かれた交通の拠点地域でした。
この地は、中世後期に和紙の生産が始まったところで、原料の「楮」が土壌に適していたため生産が過剰となり、近隣の美和町や広島県側の栗谷地区から小瀬川下流に向けて和紙生産が広まりました。
日本でここだけにある立派な「楮神社」にお参りをしてきました。

吉田松陰の実兄の「杉 民治(すぎ みんじ)」は、明治5年(1872年)から明治9年(1876年)まで旧本郷村の行政に関わり、和紙の生産から稲作を奨励し、新たに開墾、灌漑用水路を各所に張り巡らし村を支えました。
現在も用水路の水は勢いよく流れており、「開拓の碑」が田圃の傍に建てられています。
その業績は今も地区民の誇りとして、感謝の気持ちを持っておられることを、案内役の方からも強く感じ取ることができました。地区の人たちみんなで地区の歴史を温めているようでした。
その他にも「代官所跡」など多くの場所を巡り、両地区の歴史民俗資料館では、貴重な歴史と文化財を見て学習することができ、山代の国の歴史研修を終えました。

今年2回目の研修は、4月8日(水)に日帰り研修として「八千代湖と毛利元就歴史探訪」を学習テーマとして安芸高田市を訪ねます。
すでに現段階で21名の参加希望者があり、八千代湖の花見~元就の譜代家老宍戸隆家の居城跡~宍戸司箭神社~歴史民俗資料館~元就の墓などの見学の準備を進めています。

2015年の活動について

大竹市歴史研究会では、今年は「大竹市の方言集ー日常会話の中からー」をテーマとして、調査研究・製本化に向けて取り組んでいきます。
それとあわせてホームページも充実させ、皆さんに大竹市の歴史を知ってもらい、語り合える機会を作っていきたいと思います。

また、会の活動としては、日帰り・一泊合わせて4回の市域外研修を開催する予定です。
今年は「広島城学習」、「先人の築いた石垣巡り」なども計画に入れ、準備を進めています。
その他にもふるさと史の講座や工場見学など、楽しい内容を組み入れながら「友だちになろうよ」をモットーに活動していきます。

歴史に興味のある方やみんなと一緒にどこかに行きたい方は、ぜひ大竹市歴史研究会に入っていただき、一緒に活動しましょう!

ボランティアガイドの発足について

大竹市歴史研究会では、活動の一環として「大竹 ボランティア ガイド サークル」を会員6名により発足させ、このたび初会合を開きました。

今後は、広く「ふるさと史」を紹介できるよう、市域を9つのエリアに分けて毎月1回「学習会と現地実習」を行い、なるべく早いうちにどのエリアもご案内できるよう進めていきます。

【案内するエリアの案】
1.玖波の町並み
2.小方の町並み
3.亀居公園「亀居城跡と詩の坂道」
4.油見古道
5.元町界隈
6.大瀧神社界隈
7.白石界隈(新開の経緯と幕長戦争)
8.木野散策  
9.大竹一周歴史ガイドなど(市域の歴史・文化財が紹介できるようなコースを設定します)

テレビ放送のお知らせ

2月21日(土)あさ9時30分から、広島ホームテレビの「あっぱれ!熟年ファイターズ」で「大竹市で歴史めぐり」が放送されます。

先日、大竹市歴史研究会の会長も取材を受け、出演する予定です。
お楽しみに!

広島ホームテレビーあっぱれ!熟年ファイターズ
http://home-tv.co.jp/jukunen/2015/02/post-68.html

 

広島市観光ボランティア協会の方たちとの交流

1月16日(金)に、広島城や平和公園などを専門にボランティアガイドされる7名を大竹市に招き、亀居公園を中心に歴史交流会を行ないました。

最初に案内したのは、福島正則の客員家老、古造大膳が亀居城築城時に架けたといわれる黒川二丁目の「大膳橋」。
それから、毛利氏への備えとして小規模ながら強固な亀居城跡に到着。史跡公園として周囲500mの山頂に今も残る刻印、矢穴、井戸跡、天守台を見て回り、公園内に設置された作詩家石本美由起氏の7つの歌碑「詩の坂道」など、およそ2時間かけて案内をしました。

その後、小方の町並みに入り、長州戦争時の幕府軍艦からの艦砲射撃による「西念寺砲弾跡」、「和田家の長屋門」、そして松尾芭蕉の句碑「氅の碑」などを案内し、広島市のボランティアガイドグループとの初めての交流会は終わりました。

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