私たち歴史研究会は、今住む町を愛し続けて36年が経過しました。
会員の平均年齢も徐々に高くなることに心配しながらも、月例会にはお元気でお会いでき、“ふるさと史”を調査研究し、そしてまとめたものを市民の皆さんに“製本化”として読んでいただいています。
厳しい時代の流れの中でも、いつも会員同士で“少し立ち止まろうよ、そして振り返ろうよと”と、先人たちが作り上げた貴重な文化・そして文化財の基盤の上に立って、出来上がった町の気質となっている風景を大切にしようと頑張っています。
大竹は決して広く知られた歴史の町、観光の町ではございませんが、学習となるポイントは他の町と比較して決して勝るとも劣らない多くの歴史が語りかけてくれています。
しっとりとした町並みの「西国街道玖波宿」、福島正則が築いた歴史ある「亀居城跡」は400年前の中世戦国期・江戸初期の創成期の姿を伝えています。
また、市域沿岸部では、幕末の動乱期の苦しい村人の経験から立ち上がった力が、文化財を残してくれています。
各所で「長州の役芸州大竹口の古戦」を中心に語り掛けています。
遠い昔、1400年前の伝説の中から「厳島神社創建伝説」、「宗像三女神伝統」が残る町の史跡は貴重です。
そして江戸時代初期から守り続ける「大竹手漉和紙」の生産地として育まれ、今なお一生懸命保存会の皆さんによって取り組まれ、“大竹の和紙”を手にすることが出来ます。
そして亀居城跡本丸から眼下に望む風光明媚な広島湾の西の景観は「三県一望」の唯一の地であり、そしてクライマーたちが集う「三倉岳」など、自信をもって私たちの町を広く伝え、お招きしようではありませんか、きっと満足していただけることでしょう。
今年も年間を通して、市域内外からの研修者7団体をご案内し、そしてスライド上映による講座3回を含め、多くの皆さんとの出会いがありました。
これからも多くの皆さんが、市域の古き町並みや建物文化財、そして日本史の重大な歴史的節目にかかわる特長ある歴史に触れていただくことができる大竹市です。
大竹市歴史研究会一同お待ちしています。
今年の市域来訪者との交流を振り返る
全国ネットワークを持つ「シャープ社友会広島」“大竹に白羽の矢”
5月24日(火)、全国にネットワークを持つ「シャープ社友会広島」の歴史探訪の会21名の皆さんをご案内しました。
市域中心部にある「松尾芭蕉の句碑」や地区の歴史が詰まっている「厳神社巡り」と、慶応2年8月の長州の役で幕府軍艦の艦砲射撃による浄土宗西念寺の「砲弾跡」そして福島正則の支城「亀居城跡」の史跡を紹介しました。
長州の役「芸州大竹口の戦い」150年記念活動
5月29日(土)、大竹市歴史研究会の記念活動として、江戸から明治へと新しい時代の転換期となった「長州の役150年」を記念として、市民の皆さんに呼びかけ28名が参加されました。
市域沿岸部玖波地区から史跡を訪ね、玖珂郡和木町では、「小瀬川口の彦根軍との激戦の跡」安禅寺境内の「彦根戦士之墓」を巡り、戦跡を辿る歴史探訪の会を実施しました。
亀居城跡に魅せられて
6月5日(日)、海田町歴史散策研究会18名が来竹。「小方の町並みと亀居城跡」を散策,城内二ノ丸イベント会場で交流会を開きながら食事会を開きました。
亀居城跡は、昭和53年10月から第一次調査を開始し、同54年の第2次調査を完了し、本丸の石垣や天守台の礎石4列20個が400年前の姿を残し、刻印や矢穴跡、排水溝暗渠部、瓦などの出土確認など全調査を終え、その後市の都市公園として、また史跡公園として現在に至っています。
天守閣をはじめ本丸から数えて11の郭を確認できる城跡としては近郊にはない貴重な城跡で、大竹市の“史跡文化財の切り札”として、市民の誇り得る心癒すことのできる公園となっています。市域外からも年間を通して多くの方々が訪れています。
学習する会として、また個人小グループの散策も四季を問わず出会える都市公園として広く親しまれています。
歴史研ボランティアグループはいつも史跡公園内ガイド、そしてそのたのご案内もするよう歓迎しています。
放課後児童ふるさとの城跡学ぶ
9月29日(木)、市教育委員会生涯学習課の「放課後子供教室事業」の一環として、毎週1回公共施設内活動が主で、4年生~6年生の児童36名が2グループに分かれ学習活動をしています。その一つとして屋外学習を取り入れ、小方の「かめっこクラブ(19名)」と栄地区方面の児童「よつばクラブ(17)名」たちが歴史散策を行ない、「亀居城跡の歴史と400年前の城跡史跡」について大竹市歴史研究会が説明指導を行いました。
「古希の会 同窓会」ふるさと懐かしむ
10月9日(日)、大竹小学校6年生卒業同窓会の「古希の会」が、市域はもとより全国から90数名が参加され、大竹市の“エスポワールおおたけ”で同窓会が行われました。
翌10日(月・祝日)関東・下関方面などへ帰られる方を含め11名が、歴史研究会の案内のもと、市域を巡りました。
小瀬川沿いの思い出の場所や、幕末吉田松陰のふるさと最後の“木野川の渡し”袂の「句碑」、長州軍の大野浦戦での戦死者の墓のある籌勝院に参拝、苦の坂口の「古戦場跡」など川沿いを上流へと周り、そして「亀居城跡の史跡」巡りを終え、午後は企業城下町や太平洋戦争下の元大竹海兵団・海軍潜水学校の位置確認や、戦後三大引き揚げ港の一つとして昭和20年12月から22年1月末までの約1年間に41万783人の在外軍官民が大竹港に上陸、祖国日本の地へ第一歩を踏みしめた場所を紹介しました。
現在は日本の経済を支える企業城下町として一翼を担い、戦時下の面影を確認することは難しくなりましたが、近郊でも特長的な企業群で、企業の中は市道になっており自由に行き来できる環境に驚かれ、案内ポイントの一つとして紹介しています。
大竹の文化財を訪ねて
10月12日(水)、広島県退職教職員協議会「佐伯地区支部」の会員11名家族1名が参加されました。
「大瀧神社巡り」と約200年前に新田開発された栄地区の堤防の形跡や貴重な満潮時の潮留「鼻操南蛮樋」が現在もかつての樋門の姿をとどめている貴重な市域の文化財産を議会の皆さんの要望により初めて説明会をしました。
小瀬川河口では戦後初めて導入された「コンビナートシステム」を目の前に見ることが出来る。現在の日本を支えている企業群の見学と戦中化の元大竹海兵団・海軍潜水学校の「探知講堂のモニュメント」から当時を想像していただきました。
退職教職員の皆さんも地域ごとに協議会を持ち、毎月種々な活動の中で学習され、地域社会に貢献されていることを知り心強く感じました。
初の来竹・防府市観光ボランティアガイドの会
10月20日(木)、22名が参加され、「長州の役150年」を機に、和木町の「小瀬川古戦場跡」、「蜂ヶ峯歴史資料館」などを学習された。その中でビデオ上映では真剣に学習されていました。
そして大竹市の「亀居城跡」には全員が始めてこられたということで、長州の役とは歴史的に隔たりがあり、戸惑いもあったようでしたが、天下の武将福島正則の築城跡ということで理解を深め多くの方たちが真剣にメモされておられました。
全国的にもまれな全11の郭が残る城跡は珍しく感動され、少し整備の行き届きを指摘されましたが大いに関心を持たれた様子でした。
また「詩の坂道」の一つ一つに懐かしさを感じていただきました。
市域内各歴史エリア「テーマ編集」されたスライド上映による講演会
1.自由民主党大竹支部月例会「小方の街並みと亀居城跡」
2.大竹支部厚生保護女子会「小方の街並みと亀居城跡」
3.大竹市立玖波小学校「総合学習・玖波の町並みについて」
歴史研究会市域内外研修活動
1.三次市「文化・芸術の町」鑑賞(5/20)
2.広島城と宇品港方面研修(1/22)
3.周防大島町研修(3/04)
4.しまなみ海道「村上水軍城」探訪(7/19)
5.岩国市美和町歴史探訪「大三郎観音霊場」(9/21)
6.愛媛県今治・松山など一泊城郭研究(11/11~12)