昭和15年(1940年)に、大竹に呉海兵団大竹分団大竹分団が設置され、翌年に大竹海兵団として独立しました。
そして、その翌年の昭和17年(1942年)には、海軍潜水学校も呉から大竹に移設されました。
海軍潜水学校は、潜水艦の乗組員を養成するための施設です。大竹の潜水学校には、日本で唯一「探知講堂」がありました。探知講堂は、柱によって海上に建てられた施設で、潜水艦のスクリュー音を聞き分ける訓練が行っていました。
この探知講堂は、近年まで海上に残されていましたが、大竹港(大竹工業団地)の埋め立て事業により、平成20年(2008年)に現在の形に切り取られ、現在、大竹港の緑地公園にその一部がモニュメントとして残されています。