「木野」の歴史のページをアップしました。
今後も随時追加していきます。
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大竹市歴史研究会は、大竹市市制60周年記念事業として「拓本展」を開催します。
著名人の「辞世の句」、「石仏」、「顕彰碑」、「道しるべ」など、大竹市域の石造物の拓本を取り、由緒などの資料とあわせて公開します。
ぜひお越しください。
開催期間 11月19日(水)~26日(水)まで
展示会場 大竹市総合市民会館ロビー
資 料 出品作品については、由緒など会場にて提供します
小瀬川流域の和紙の歴史は、中世後期山代の国(現岩国市本郷町波野)に始まり、原料の楮も順調に確保され余剰が出るほどとなり、国境(くにざかい)を越えた栗谷地区に製法が伝わったといわれています。
広島型花崗岩の地層を流れる小瀬川は、良質な和紙が漉かれ江戸時代に入り、川手・木野・そして大竹へと広まりました。
大竹地区では、「紙漉き」が多くの家で漉かれるようになり、各生産者が「楮」を大きな釜で蒸し小瀬川の河原に担いで行くため、山手の人たちが直線的に効率よく行けるように、各家主が土地の一部を提供し合い、山手から遠回りしないで小瀬川にたどりつくようにした路地が「井筒」のように作られ、今も生活に欠かせない路地としてそのまま使われています。
ここにも大竹人気質の心優しさが色濃く見えます。
元町4丁目から本町辺りまでの町並みを気を付けて見ると、3軒から4軒で川に降りるようになっている。他の町にはない路地の多さに気づく。
それは、大竹が特産和紙の生産地としての基盤をなした道であることを今に伝えています。
小瀬川水系は、全長59kmの決して水量豊かな大河ではありません。
しかし、二つの多目的ダム、その一つは西日本3位といわれる弥栄ダムがあり、そして中国電力の二つのダムを有し、一滴の水も無駄なく私たちの生活に大変役に立っている川です。
廿日市市浅原の保曾原地区より小瀬川の水を送水管で渡ノ瀬ダム上流の友田橋のところから渡ノ瀬ダムに送り年間発電量を確保しています。
そして渡ノ瀬ダムより中国電力玖波水力発電所でタービンを回し電気を作り、使用後の水は半分は玖波地区の恵川には流し、残りの半分は借りた水は小瀬川に返すということで、大竹市上水道水源地上手約70mのところに返されています。
このことにより、下流にある行政水源地施設や民間水源地施設数カ所に役立っているのです。