大竹一周歴史・文化財を訪ねて

大竹市市制施行60周年記念事業として、「大竹一周 歴史・文化財を訪ねて」を開催します。

大竹市をバスでぐるっと周りながら、大竹市歴史研究会の会員が、大竹市の歴史や文化財をご案内します。
楽しく大竹市の歴史を勉強してみませんか?

開催日:11月22日(土)
集 合:大竹市総合市民会館 8:30~8:50(9:00出発)
参加費:1,500円(食事・保険・交通費)
申込み:11月4日(火)~11月14日(金)の間に
    大竹市教育委員会生涯学習課まで(0827-53-5800)
定 員:50名(定員になりしだい募集を締め切ります)

手すき和紙の歴史を作った「井筒」路地

小瀬川の川原から山の麓まで続く生活道(かつての楮運搬道)

小瀬川流域の和紙の歴史は、中世後期山代の国(現岩国市本郷町波野)に始まり、原料の楮も順調に確保され余剰が出るほどとなり、国境(くにざかい)を越えた栗谷地区に製法が伝わったといわれています。

広島型花崗岩の地層を流れる小瀬川は、良質な和紙が漉かれ江戸時代に入り、川手・木野・そして大竹へと広まりました。 

大竹地区では、「紙漉き」が多くの家で漉かれるようになり、各生産者が「楮」を大きな釜で蒸し小瀬川の河原に担いで行くため、山手の人たちが直線的に効率よく行けるように、各家主が土地の一部を提供し合い、山手から遠回りしないで小瀬川にたどりつくようにした路地が「井筒」のように作られ、今も生活に欠かせない路地としてそのまま使われています。

ここにも大竹人気質の心優しさが色濃く見えます。

元町4丁目から本町辺りまでの町並みを気を付けて見ると、3軒から4軒で川に降りるようになっている。他の町にはない路地の多さに気づく。

それは、大竹が特産和紙の生産地としての基盤をなした道であることを今に伝えています。

この水どこから?

小瀬川水系は、全長59kmの決して水量豊かな大河ではありません。

しかし、二つの多目的ダム、その一つは西日本3位といわれる弥栄ダムがあり、そして中国電力の二つのダムを有し、一滴の水も無駄なく私たちの生活に大変役に立っている川です。

廿日市市浅原の保曾原地区より小瀬川の水を送水管で渡ノ瀬ダム上流の友田橋のところから渡ノ瀬ダムに送り年間発電量を確保しています。

そして渡ノ瀬ダムより中国電力玖波水力発電所でタービンを回し電気を作り、使用後の水は半分は玖波地区の恵川には流し、残りの半分は借りた水は小瀬川に返すということで、大竹市上水道水源地上手約70mのところに返されています。

このことにより、下流にある行政水源地施設や民間水源地施設数カ所に役立っているのです。

発電水
写真上部は、国道186号線(防鹿~穂仁原中間あたり) 玖波水力発電所より使用済みの水が、ここに返されている。

小瀬川に架かる沈下橋

小瀬川中流域の大竹市上水道水源地、通称「防鹿水源地」のところから、岩国市小瀬字前渕地区まで「沈下橋」が架かっています。

この橋は、向かいの前渕地区の人たちが、苦の坂から小方へと渡る生活に必要な橋でした。

かつては川舟や地区の人たちが総動員して「木橋」を架けていましたが、洪水のたびに流され難渋していました。

そのため、前渕地区の山本信吉氏が先頭に立ち、両県に陳情を重ね続け十年後に叶い、全長55m・幅2m・橋脚16本が打ち込まれ、昭和35年(1960年)に完成し、現在も両地区の懸け橋となっている。

初の石造物「拓本展」に向けて

大竹市歴史研究会では、拓本部会という専門チームを作り、「道標」「石仏」「顕彰碑」など、ふるさと史に関わる石造物の拓本を採取しています。

毎週水曜日を採取日と定め、30数点を目標に拓本3炎天下の中活動を進めています。

採取した拓本は、11月19日から26日まで大竹市総合市民会館ロビーで開催する拓本展で展示します。