手すき和紙の歴史を作った「井筒」路地

小瀬川の川原から山の麓まで続く生活道(かつての楮運搬道)

小瀬川流域の和紙の歴史は、中世後期山代の国(現岩国市本郷町波野)に始まり、原料の楮も順調に確保され余剰が出るほどとなり、国境(くにざかい)を越えた栗谷地区に製法が伝わったといわれています。

広島型花崗岩の地層を流れる小瀬川は、良質な和紙が漉かれ江戸時代に入り、川手・木野・そして大竹へと広まりました。 

大竹地区では、「紙漉き」が多くの家で漉かれるようになり、各生産者が「楮」を大きな釜で蒸し小瀬川の河原に担いで行くため、山手の人たちが直線的に効率よく行けるように、各家主が土地の一部を提供し合い、山手から遠回りしないで小瀬川にたどりつくようにした路地が「井筒」のように作られ、今も生活に欠かせない路地としてそのまま使われています。

ここにも大竹人気質の心優しさが色濃く見えます。

元町4丁目から本町辺りまでの町並みを気を付けて見ると、3軒から4軒で川に降りるようになっている。他の町にはない路地の多さに気づく。

それは、大竹が特産和紙の生産地としての基盤をなした道であることを今に伝えています。