江戸時代宿場として栄えた玖波宿には、4箇所の共同井戸がありました。
角屋の釣井は、その一つとして残されているもので、駅伝の馬の繋留所や人々の集まるところとして賑わい、そして禊の井戸、酒造りの名水としても使われました。
一方、高札場は、藩の告示などは一定の場所に掲示することが決められていたので、駅伝の籠・馬などの料金表など、様々な公的な知らせの札が立てられていました。
しかし、明治になり、このような方法での掲示がされなくなったため、高札場は撤去され、後に道路の前にあった恵比須神社がここに移されました。